共同作業は他者への敬意が前提

こんなこと当たり前なことと思うのだけれども、

どうしても自分から見て思うように動かない他者がいると、

敬意のない態度を取りたくなる人がいるようである

(身近だと、だいたいあの人とあの人という感じで特定できてしまうが。)。


もちろん、「思うように動かない」ことでその作業全体に大変な支障を及ぼすようなことがあるのなら、そのことをきちんと指摘すべき場面はある。

しかし、指摘するにしても、基礎に他者への敬意は常に忘れないようにしたい、と思っているし、それは当たり前のことだと思う。


独善的で、他者に敬意のない言動は、本当に受け入れられないのだ。

私も、そのような言動になることがもしかするとあるかも知れないし、

他者の対応にイライラさせられることもままある。

しかし、少なくとも他者に敬意のない言動で、そのことを糾弾したことはない(あまり?・・絶対かは言い切れない?)。

少なくとも、そのような言動は自分ではしたくない。

何より、自分でされたくないので。

そのことだけは常に思っていることである。


冒頭の話、「こんなこと当たり前なこと」と、実は考えていない、

ダメな人間を糾弾して何が悪い、ダメな人間はダメな人間その人が悪いのだ、

などと確信を持っている人も人口比一定数は存在するのだろう。


直接は関係ないのだけれど、

どこかのなんとかというよくわからない若者(だいご?)が、ホームレスや生活保護受給者は自分にとっては存在する意味がない、自分にとっては猫の方が大事だ、自分の払っている税金は本当は猫の方に使って欲しい、そう言って何が悪い、などと発言していると聞いて、あらためてこんなことを思った(この若者(ゆーちゅーばー?)こそ、私が基本的に否定すべきと言っている「売名行為」の、例外的に肯定すべきケースと思うが。基本的に何も知らないのに粋がっているだけなのだろう。今後どのような報いがあるのか。)。

前記したこととこのニュースがどこで関連するかと言えば、

「他者に対する想像力」ということになるのだろう。


face the consequences!


ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

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