85才を超えた両親と、震災・原発事故後初めてともに双葉町へ。
電車(特急)で双葉の駅を降りたのは、もう20年ぶりかそれ以上かも知れない(原発事故前最後に出向いた12年前は車で出向いたので。)。
オレンジ色のような屋根の建物は、父の実家の墓地の脇にあるもの。
地震で傾いたまま、10年以上全く手をつけられていない。
しかしこの間ずっとたちつづけたということ。
次の建物(青年婦人会館)は、実家(跡地)のすぐそば。
そしてその下、同会館前に止まっている車がなんとなくきれいなのだけれども、皆パンクしている。10年前以来そのまま停車している。
実家は取り壊されて更地となっている。
取り壊しに入った際の写真がなぜか新聞に大きく載っていたことは以前にも書いたとおり。
その更地のまさに目と鼻の先に、未だに残る帰還困難区域との間の鉄柵。そこの帰還困難区域は、中間貯蔵施設につながる敷地。動画を撮ったが静止画は撮らなかったのでここにはアップしないが、Googleマップにはまだ取り壊される前の状況(原発事故後の2013年に撮影されたよう)が残っている。
ほんと、取り返しのつかないことをしてくれたな。
大半の人には関係ないことなのだろうが。
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