お金というのは、そこにあるとわかると、ほしいものになるよう。
高名な公害訴訟の弁護団長だって、ほしくなってしまったのかも。
自国民に平気で発砲し、経済をめちゃくちゃにしている、強盗団のようなミャンマーの軍部だって、結局金づる=利権を手放したくないわけで。
言うまでもなく、こういった大変多額のレベルの話でなくても、これは同様。
お金の獲得へのハードルが低くなり、届きそうになると、手を伸ばしたくなるものらしい。
こちらも後見人でもないので、やれることは限られているが、本人の行動等からは今後の流れも残念ながら見えてしまう(そして、それはおそらく当たる。)。
まあ、どう使うか(どうなくなるか)は、まさに本人次第であり、こちらには何の責任もないのだけれども、なんというか、虚しい。仕事をして回収しても、そんな流れになってしまうと言うのは、やはりね。
かつて過払い金とか回収したこともあったが(もちろん、「過払い金産業」を担った事務所の足元にも及ばないが)、大金を手にした方々の生活はその後どうなったことか。
人間としてきちんと生きてゆけるかの線引きは、結局のところ、お金に対し、一定の冷静な観点を持てるか、と言うことになる。
そして、管理能力。
自分で管理するというのであれば、それはそれに従い、お渡しするしかないが、
その結果どうなるか。
最終的には自己責任。これもどうしようもない。
どうしようもないのだ。
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