仕事の合間等に、時々ちょっと見たくなる音楽の映像がいくつかある。ジミヘン、MC5、ストロークスの再生2億回の映像等々。いずれもその衝動性において大変優れているもの。
The Whoの、1970年ワイト島ロック・フェスでの「young man blues」の演奏もその1つ。
5分程度なのだが、終始テンションが高く、破壊力がある演奏。いつ見てもこちらもテンションが上がる。ロックが一番幸せだった時代だからこそのクオリティなのかも知れないが、それこそ本当にその1回1回のライブに全身全霊を捧げていたのではないか、という感じである(当時~60年代末から70年代初頭は、そのようなミュージシャンがたくさんいた。jimi hendrix, janis joplin, doors, デビューしたてのLED ZEPPELIN等々。その多くが、短い間に燃焼しきってしまったが。)。
個人的には、The Whoは何と言っても、中1くらいのころにNHKテレビで見たツトム・ヤマシタの特集番組でチラ見した、たぶん67年のモンタレー・ポップフェスでの映像シーン(たぶん)が大変な衝撃を与えた。もともと楽器を破壊するような破滅的なステージを繰り返していたバンドだが(My Genelationは、1965年初頭のサウンドとしては超革新的なワイルドさ、ハードさを持っている)、ロジャー・ダルトリーが白い衣装でシャウトする中で、ピート・タウンジェントがギターをステージに叩きつけるシーンに、背中を突き抜けるような感覚を覚えた(人によっては、なんてもったいない、とか、そもそもそんな破壊的なものは許せない、ということになるのだろうが。)。モンタレー・ポップフェスでは、先に出てきたWhoが、こんなパフォーマンスをやってしまったので、ポール・マッカートニーの推薦でこのフェスに参加した(アメリカでの事実上の凱旋コンサート)ジミヘンが、その後出てきたときにギターを燃やすしかなくなってしまった、という、有名なエピソードがある。まさに、ロックが有していた衝動性が体現されたバンドであった。
Whoは、個々のメンバーのキャラがとても際立っている。フロントマンのロジャーダルトリーの、小柄ながらステージをいっぱいに使って、度々マイク(コード付き)を投げ上げながらのパフォーマンス、ピート・タウンジェントの、細やかなのだけれども攻撃的なフレーズに、これまたステージ上を駆け回り、度々のジャンプ、また独特の腕を扇風機のようにブンブン回すプレイ。他では見ることのない唯一無二のもの。キース・ムーンの、これまた全身全霊を込めたような(表情も含めて)、とても手数の多いドラミング(個人的には、手数の多いドラマーは嫌いではない。ジンジャー・ベイカーとか、ミッチ・ミッチェルとか。でも、サイモン・カークのように、極端に手数が少ないのもこれはまたよいか。)。このプレイを見るだけでも高揚してしまう。そして、個人的にはロック史上最高のベーシストの1人であるジョン・エントウィッスルの、とにかく静の姿勢をひたすら極端なほどに保ちながらの、根太い、ひたすら攻撃的な、そしてたびたび繰り出される早弾きフレーズ(かつてreal meという曲でその素晴らしさを初めて知った。ジャック・ブルース、クリス・スクワイア、(タイプは違うが)アンディ・フレイザー、そしてジャン・ジャック・バーネルといったすばらしいベーシストの面々の頂点に立つ)。個性と個性のぶつかり合いの上にバンドが成り立っていて、だからこそ(ウィキペディアによるが)度々の分裂や解散の危機、また実際の解散、といったことを経てきている、というバンドである。
標記のライブが上映されるとの情報に、古ロック系のオープンチャットで接し、HPを探してみたところ、大宮にあるミニシアター(割と最近出来たらしい)でやっているとのことで、昨夜仕事のあと出向いてみた。客席は100もないほど。カフェが併設されているこじんまりした施設。いくつもの地味ではあるが落ち着いた作品をやっているようで、それこそ往年のミニシアターを彷彿させる(最近ならポレポレ東中野か。かつてなら池袋文芸坐。王子300人館(今もあるのかな)。昔大学のそばの居住用マンションの中?に、ACTミニシアターというのがあったのだが、何となく近寄りがたく、結局一度も行ったことがなかった。今はもうないのだろうな。)。
当然だが客の年齢層は高い。しかし20人以上は来ていた。
1時間ちょっとの映像で、やった曲は12,3曲だったか。ほぼ8割以上は知っている曲だったが、何よりそのテンションの高さには興奮しっぱなしであったというのが正直なところ。i can't explain, pinball wizard, substitude(恋のピンチヒッター、という放題だったと思う)、my generation, won't get fooled again(邦題何だったか), behind blue eyes, papa o'lailey, summertime blues等々。当時まだ出る前だったはずの、who are you(個人的にはリアルタイムはここから)もやってくれていた。何だかそのテンションの高さに、ひたすら目が潤んでしまい、体を大きく動かしたくなりたい衝動を抑えながら聞いていた感じであった。このころはバンドとしての活動がやや低調だったようで、ライブも1年ぶりということを言っていた。ピート・タウンジェントが再三「最悪だ」「こんなの映像に残せない。映像グループに帰ってもらおうか」などとイライラしたような発言をしていた。また、「口ばかりの若造出てこい!」などと度々客席を挑発していたりもしたが、当時のイギリスは、まさにsex pistols, clash, stranglers, damned, the jam 等々のパンク・ムーブメントが勃興しており、(既存のロックへのアンチという意味合いがつよかったものの、whoはどちらかというと敬意を持って捉えられていたと思うのだが)こういった流れに対する、いわばオールド・ウェーブからのカウンター的な態度だったのかもしれない。なお、このコンサートは、キース・ムーンの生前最後から二番目のものだったそうで。翌年秋にはキースは32才くらいで急死してしまった(その時の報道は覚えているし、新聞の切り抜きもある。)。
それにしても、こんなライブをじかに見ることが出来たらほんとによかっただろうと思うが、そもそも日本では、なぜかWhoは人気があまりなかった。ビートルズやストーンズともひと味違うし、ツェッペリンやパープルなどのようなバンドとは違ったタイプのハードロックであったし、ヘビメタやプログレのバンドともタイプが違う、クイーンのようなバンド、またエアロスミスのようなバンドとも違う、ということでもあったのだが、何が原因だったのかはよくわからない。ヒット曲だけ聴いていても、なんとなく軽い感じはあり、ライブで見せるようなハードロック的な色は若干薄い。ポップセンスも、日本人の感覚にハマる感じではなかったのかもしれない。また、70年代にロックオペラ的なアルバムも出していたのだけれども(「tommy」、それから「四重人格」)、こちらはコンセプト・アルバムで、なかなか日本では伝わりにくかったのだろう(プログレのようなコンセプトアルバムだと、まずサウンドから入っていくわけだが、Whoのアルバムではそこがやや弱かったようにも思う。)。
そういうわけで、そもそも初来日が2007年(だったか)。その時には、キースの他、ジョン・エントウィッスルも既に亡く(この個性的かつ強力なリズム隊が失われてしまっていた。)、ロジャーとピートに他の新しいメンバー、という状況であった(私はそちらも見に行ってはいない。)。ウッドストック・フェスの映像は、かなり以前から日本でも見ることは出来ており、そこでのWhoのインパクトもかなり強いのだが、結局のところ、何か売り出しがうまくいかなかった面もあったのだろうか。
いずれにしても、今はこのような形で映像で後追いするしかないが、そもそも今回の映像事態自体十年間お蔵入りだったそう、ということにも驚く。ピートのライブ中の苛立ち発言にもあるように、確かに演奏としてやや粗い面は随所にあったが、それでも今見れば、上記したように言いようのない感動をもたらしてくれる大変貴重なものであった。
実はこのライブは、当時Whoが、「the kids are alright」という映画?を作るために再結集をした、その機会にやったものらしい。この「the kids~」も後ほど公開されるそう(こちらは以前にDVDでも出ているし、見たこともある、というか、持ってるか。)。もう80歳前後となったロジャーやピートのワイルドなステージは望むべくもないが、こういった映像は我々に感動をいつまでも何度も呼び起こしてくれる。
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