元号の変更

日本特有のきまりごとが、1つ決まったらしい。

まあ、いつもなら、天皇崩御に伴う自粛等で暗い雰囲気の中での発表になっていたから、
今回は今回で、これでいいのだろう。
今回の元号については、今回から日本の古典からも引用するという方針となったとか
(そう決まった時点で日本の古典から引用すると言うことも決まっていたようなものだが
・・それを決めたのはウルトラナショナリスト・チンゾウ君であるが。)、
その字面のこととか(誰かが命令してそれにみんな和を以て従え、ということ?)でも、
個人的には言いたいこともないではないが、
まあ、心の中に止めておこう(もう言ってしまっているか・・。)。

いずれにしても、われわれは仕事柄、この「元号」から逃れることは出来ない。
裁判所の「事件番号」というのがあるので。

すこししたらまた、2019(令和元)年という新語登録をしよう。
(これまでは、「じゅうきゅう」と入れると、2019(平成31)年と出るようにしていた。
毎年毎年そうやって来ている。
「じゅういち」だと、2011(平成23)年。
正直、元号はまどろっこしいです。
文句がある人は、
「昭和57年から令和6年まで、何年間ありますか?」
という問いに対し、
5秒以内で答えられてからにして下さい。
1982年から2024年までなら、絶対に5秒以内で答えられます。)

それにしても、
何だか語感が平安時代のように思えるのは、
私だけだろうか。
それはそれで、「いとをかし」かも。

ところで、
昨今、皇室に対しても、
ほんといろいろとネットでは自由な論が繰り広げられている。
特に、本筋ではなく、秋篠宮系等について。

まこさんの件もあったが、
かこさんの先日の大学卒業コメントに、
あたかも税金泥棒!と罵るかのような批判的コメントが大量に寄せられていたのにはちょっと驚いた。
私に言わせれば、
これは、安田純平さんが何年もの拉致生活から解放された際の
バッシングの嵐にも通ずるもの
(税金の使い方を云々するという点において
・・もちろん、あの件もバッシングには辟易したが。)。

天皇家が存続し、
この人達を特別扱いする制度が存在する限り、
そこに税金が投入されることは当然のこと。
それに対し、あのように公然と異論が多く寄せられていたと言うことは、
そもそもの天皇制に対する信頼が揺らいでいるということなのか?
少なくとも、皇室タブーというものが無くなってきていることは間違いないのだろう。
ただ、皇室の活動や、後続の発言に対し、税金の問題を言うのなら、
天皇制のあり方をきちんと議論しなければ、一貫性がないのは言うまでもない。
(まあ、ネット言説の発信元には無責任な奴が多いのも事実だが)

「令和」時代の天皇は、
これまで以上に、
(ウルトラナショナリスト的な意味でではなく)
天皇制をいかにして存続させてゆくかについての問題意識を抱えながら、
公務に携わってゆかねば、という意識を持たざるを得ないだろう。

ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

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