アーチスト探訪その2~イエス②

建築家である先輩と、「ロックはスリーピースバンドがよい」というような話をしたときに、「じゃあ、イエスはどうなんですか?」と聞いたら、「ああ、あれはアンサンブルだから」と言われたことがあった。

最近久々に、「FRAGILE」を通しで聞いたら、各パートが技の応酬という感じで絡みながら、高度に全体を織り上げているという感がやはり強かった。スリーピースでも、それはそれでアンサンブルの定義に入るのだが、より多数のメンバーがそれぞれ別の楽器で集合し(ボーカルも含めて)1つの楽曲を作り上げて行く素晴らしさは、やはりこのアルバムのいくつかの曲でも感じられた(他方で、メンバーのソロのような曲もいくつか入ったアルバムでもあったが)。


さて、第2回目のスタートは、「GOING FOR THE ONE」(究極)から。

このアルバムからがリアルタイム。1曲目のイントロのギターの入りとか、かなりポップな肌触り。「WONDEROUS STORYS」のようなヒットシングルが出たり等もしたようで、それなりにヒット。次の「TOMATO」はさらに楽曲によってはポップ路線に。「鯨に愛を」なんていうあまりそぐわないような曲も入っていたが、それなりのプログレ路線は維持。この70年代の頃までは、イエスのメンバーのインタビュー(のみならずプログレ全般かも)の日本語対訳は「ですます調」であった。例えば。「そうです。そこが私がこのアルバムで目指したところなのです。」「心の奥底から湧き上がる情感を言葉に織りなす、それを音楽に高めて行く、その作業の繰り返しなのです。」てな雰囲気の対訳である。こんな対訳の仕方自体も、当時日本でプログレがある種の感覚でありがたがられたという雰囲気を醸し出す材料になっていたと思う。もっともこれが、なぜか5年後には、「うん、それが僕がこのアルバムでやりたいことだったんだよ。」という訳し方に変わってしまうのだが・・(笑)。

「TOMATO」が出たあと、なんとジョン・アンダーソンとリック・ウェイクマンという看板2人が脱退。イエスは大きな危機を迎える。そこで穴を埋めるべく加入したのが、なんと79年秋に「VIDEO KILLED THE RADIO STAR」というナンバーワンヒットをイギリスで出していた(日本でも結構ヒットした)「バグルス」のトレバー・ホーンと、ジェフリー・ダウンズであった。そしてアルバム「DRAMA」を発表。

正直、このアルバム、きちんと聞いたことがなかった。トレバーがボーカルを取って、それなりに頑張っていたというイメージだったのだが、最近聞いてみて、どうしてどうして、けっこう頑張ってはいたんだな、と思った。あのジョン・アンダーソンの穴を埋めるというのはまさに至難の業であり、それこそ全くタイプの違うジョン・ウェットンに変わって「AZIA」でも結成しないとダメなくらい(実際そうなったのだが)なんだったと思うが、かなり善戦したと思う。ただ、セールスはあまり振るわなかったとも思う。

その後、イエスは解散というか分裂状態となり、スティーブ・ハウは前記した「AZIA]を結成して産業ロック的大成功を収めた。他方、つなぎ役のクリス・スクワイアは、アラン・ホワイトや、旧メンバーのトニー・ケイを加え、いったん「シネマ」というバンドを結成(このあたり人とバンドの前後関係は大雑把)、バグルスの2人のうちトレバーホーンはプロデュースのほうに(この人は商才があったようで、ゲフィンレコードを立ち上げて大成功する)、ギターにはスティーブ・ハウと違うタイプの別のトレバー(ラヴィン)を招き、さらにボーカルにあの人を入れる。そして、80年代、イエスは生まれ変わった。


ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

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