昨年、ベルリンの壁解除から30年が経ったことを機に、当時に関する報道がいろいろとなされた。
その際、よく引き合いに出され、特番まで作られたりしたのが、1988年ころにブランデンブルグ門の前で、スピーカーを東ベルリン方向へ向けて開催された、デヴィッド・ボウイのコンサートである。ここでボウイが演奏した「heroes」が、ベルリンの壁崩壊・冷戦終結に向けた象徴的なエピソードの1つとして引き合いに出される(ボウイが死んだときドイツ外務省が出したコメントはほんとに振るっていた。)。
ボウイがこのコンサートをベルリンで開催したきっかけには、当然ながら、1976~78年頃まで、ベルリンに滞在していた事実とその経験があろう。グラムロックの時代から、その後渡米し、2枚のアルバムを出したアメリカでのある意味ボロボロな生活を経て、ボウイはベルリンに移り住み、そこで「ベルリン三部作」と称される一連のアルバムを作った。「low」「heroes」「lodger」である。まさに冷戦下、そして壁の向こうは全部ソ連圏内(当時東欧で「ソ連の優等生」と言われていたのは、東ドイツとブルガリアであったであろう。)。息詰まるような状況下での生活。西ベルリンは香港とは違い、権威主義の支配下にはなかったわけだが、それはそれで米国などとは違う状況があったのだろう。
ボウイがこれらのアルバムを出した頃、私はまだロックを聴き始めたばかりで、正直これらのアルバムにはすぐに入ってゆけなかった。特に前2作のレコードで言うB面は、ブライアン・イーノが奏でる重苦しいシンセサイザーサウンド「warshawa」「art decade」「sense of doubt」「moss garden」等の曲で覆い尽くされ、如何にも実験色が強く、まだビートルズだ、ハードロックだと言っている耳には、ある意味マニアックにすぎた。要するに「応用編」だったのである。そのこともあって、これらのアルバムの比較的ポップなA面の曲にもしばらくなじみがなく(「heroes」などは例外)、むしろこれらの数年前に出た「space oddity」(シングル)「ziggy stardust」「aladdin sane」などのほうが、内容もポップでインパクトもあり、すんなり入って行けた。
今となっては、これらのアルバム(特に前者2枚・・「lodger」は前2枚と若干趣が違う、ボウイ世界の旅、みたいな感じ。聞き込み不足。)はトータルとして素晴らしいものと認識しており、ボウイの幾多のアルバムの中でも5本指には必ず入ると思われる。「heroes」のA面などは、ほんとに奇跡と言うくらいの完璧な出来だと思う。「v2 shnaider」でシンセ音ながら比較的スマートに入るB面は、イーノが当時手がけ始めていた環境音楽にも通じるサウンドが続いたあと、トンネルを抜け地上に出たかのように開けたサウンドで次作を展望する「the secret life of arabia」で幕を閉じる。全体としてもほぼ完璧な出来である。これが全米35位止まりなんて、ほんとにアメリカ人は耳がダメだ(というよりもあまりにもヨーロッパ的であったのだろう。ちなみに「low」は11位まで上がっておりこっちのほうがむしろびっくりか?しかしこのさらに1つ前のアルバムの「station to station」はトップ3近くまで上がっているから、その名残もあったか。)。ボウイ自身もこれらの作品への思い入れが強かったことは、ボウイが10年ぶりに出した「the next day」(遺作「★」の1つ前)で、「heroes」のジャケットを下敷きにしたことからもよくわかる。
「ベルリン三部作」と一般的に言われても、その中身についてはおそらくあまり知られてはいないのだろう。この、必ずしも一般的なポピュラリティ(「let's dance」のように)を得られるとは思えない一連のアルバムは、しかし、前記した象徴的な意味からも、また、その作品としての完成度の高さからも、ポップス・ロック、そして音楽史に永遠に残り続ける。
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