ゴードン・ハスケルが死んだというニュースが流れてきた。
第2期(といっていいのか?)クリムゾンのボーカルだった人。その前後と比べるとちょっと印象が薄い時期ではあるが、脱退後もコツコツ活動していて、ヒットアルバムもだしていたよう。
さて、クリムゾンは80年代に復活する。
ロバフリは、UKやソロで活動していた旧メンバーのビル・ブラッフォード(ブルーフォード)を再度誘った上、新たにエイドリアン・ブリュー(🎸。トーキング・ヘッズ等)とトニ・レヴィン(ベース。セッション。ジョンレノンの生前最後のアルバムにも参加。スティックベースでおなじみ。)を招き入れ、それまでとはかなり異質のサウンドを展開した。
アルバムタイトル自体「ディシプリン」ということで、何だか手段が目的になっているのか?などという批判もあったり、賛否両論あったが、言葉の本当の意味ではプログレッシブであったと思う。プログレに典型的なメロディアスな面、大げさな面等は影を潜め、非常にコンパクトに、ミニマルミュージックも意識したようなサウンドであったと思われる。
私はコノ「ディシプリン」が出たあとのころ、浅草公会堂(だったか)に来日したクリムゾンを見に行った。フロントマンとしてブリューが、例の変な音のギター音を鳴らしながら活躍、ビルとトニーは淡々と下支えをするタイトな演奏。そしてロバフリは終始座ったままのプレイ。「レッド」「太陽と戦慄パートⅡ」などといった曲も披露しつつ、基本的に新譜からの曲が中心であったと思う。もう40年近く前のことなのであまり記憶にないが、なぜか終演の際に皆でワインを飲み出したことは覚えている。
その後のクリムゾンは、同傾向のアルバムをさらに2枚出した後、また活動を休止。80年代後半以降、ロバフリのギタースクールで鍛えられた(んだとおもう)若いメンバーを新たに加え、「ブルーム」「スラック」等々、ヘビメタとは全く違うがかなりメタリックなロックサウンドでさらに活動を続けた。そして、新譜をたびたび出す傍ら(私も時々お付き合い)、かつての音源等も小出しにどんどん(ロバフリが)発売し(私もたまにお付き合い)、特に日本のような熱心なファンが多い地域で、一定の収入を得られるようになった層をターゲットに商売を続けていた。商売に関してはシビアであったようで、某雑誌がキングクリムゾンのムック本を出したとき、いわゆる「パブリシティ権」を主張し訴訟で争ったなんていうこともあった(著作権法の教科書にも載っていたりする)。イエスやELPのメンバーがエイジア等で産業ロックに走ったような商売の仕方とは全く違うやり方である。クリムゾン自体が「売れ線」のサウンドを提示してきたことは一貫してなかった。その点は、いわゆる4大プログレバンドの中でも、特筆すべき部分であったと思う。
ロバフリももう75歳近くなってきたので、以前ほどは指が動かなくなっているだろう。それでもまた海外渡航がOKになったら来日して演奏するのか?もう一度見てみたい感じもするが。
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