花見

今年は、各地で花見宴会を自粛するような動きとなっている。

桜が多く咲いているような公園や川縁等においても、敷物を敷いて座り込んで宴会など出来ないように、コーンを置いたりテープを貼ったり等されているところが多いようである。

やむを得ないことではあろうが、やはり残念なことである。昨年も同様の状況であり、もしかすると来年も同じ状況なのかも知れない。

戦時中以外にこのように花見宴会が連年で制約された時代は、少なくとも明治以降はほとんどないのではないか。


それはそうと、今般首都圏では「緊急事態宣言」が解除され、飲食店の閉店時刻も午後9時までとなった。その分酒の提供も遅くまでOKとなった(おそらく大半の店は午後8時まで)。

これはいろいろな意味で大きい。解禁を求める側からすれば、やはり仕事が5時上がりなどという人が多数派ではないから、7時でオーダーストップというのは非常にきつい。当然足は遠のく。8時までオーダー可能となっただけでもかなり違うと思われる。他方、感染を慮る側からすれば、これは確実に感染再拡大をもたらす措置解除ということになろう(それにしても、ヨーロッパの状況は本当に深刻だが、どうしてここまで違うのだろうか。単に習慣の違いからのみではやはり説明がつかないように思われる。)。

あえて言えば、どちらがよいのかわからない(政府の政策について云々かんぬんされているが、店舗経営への影響という観点も含め、この点については正直何が正解だかはよくわからない。予算配分の問題はあろうが。)。若干緩和する中で、個々が注意してやって行くしかないのではないか。


そういうわけで、先日解除直後のある日、久々の少人数での宴席を持った。席間は広めにとって。実は事前に花見もあったのだが、仕事の関係でこちらには間に合わず、宴席の前の待ち合わせから参加となった。

2週間ほど前だったか、依頼者と打ち合わせの後、ちょっと行きましょうと言うことで飲酒できる店に出向いたところが、すでに午後7時を回っていたためどこもアルコールは出さない状況となっており、数件回った後でやむなく食事のみ(それも午後8時まで)軽く取って別れたことがあった。これはほんとうに消化不良というか、スカスカな感覚であった。それと比べると、解除後のこの日の宴会は、1時間延長のおかげで、比較的時間的、かつ心理的な余裕があった。

やはり、このような集まりをたまには持ちたい。人によるのだろうが、私はそのような感が強い。ここのところ内へ内へと気持ちが向いてしまい、なにをやっても駄目というような自己評価の低いメンタリティにさいなまれているだけに、このような集まりの機会を持つことは日々の活力を再興させるためにもけっこう重要である。

おそらく、昨今うつ病ないしうつ状態という人が増えているのではないか。自分自身、外的な要因もあるが、5年前頃のメンタリティとは全く違うものになっているように思う。たぶんそこには、コロナ要因も若干ながら影響しているのかも知れない、知らず知らずに、と思う。


少なくとも自分は、ギリギリまで他人を尊重する姿勢を維持したい。相手が自分自身のことばかりを振りかざし、こちらの領域に土足で踏み込んでこない限りは(そういう人間は自分自身ではわからないのだろうが。)。

ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

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