昨日金曜日、2週間にまたがった某事件の尋問が終わった。
こちら側の証人は3名。相手方は、証人1名と本人。
相手方は重度身体障害者の方で、質問への回答に難があり(YES・NOの意思表示は、なんとか手を上げたり垂らしたりで出来るのだが、何かを具体的に回答してもらおうとしても、まず発声が難しく、また文字盤を通じても10文字がせいぜい)、質問の仕方も難しく、必要な答えを得るのに難儀した。それに、相手方とはいえ、顔を真っ赤にして必死に答えようとしている姿がいたましくも思え、ある程度予想はしていたものの、予定していた質問の大半をカットすることになった。文字盤での発言の際には、その都度裁判官が法廷から駆け下りてきて文字盤を確認するという異例の進行で、また質問の仕方についても先方とやりとりをしたり等、おそらく他では経験しないような法廷であった。問題は中身なのだが、配偶者の尋問で事実の確認はある程度出来ているので、判断者の判断材料は示せたとは思っている。
余談だが、この案件でも学ぶことは多かった。やはりわれわれは具体的な案件より社会の実情を学ぶことが何よりも重要と思う。
個人的には、今年の大ヤマを越えた感じではあるが、実は年内にやっておくべきこと、やっておかねばならないこと、やっておきたいことがまだいくつかあり、今年もギリギリまでバタバタとしそうである。こういういい方が適切かどうかわからないが、経験を経ることで、ある案件を見た場合の見方がより多角的になる反面、考慮せねばならないと思いつく部分も増え、その分何かをしようと決断するに際して調査等で時間がかかったりするところも出てきている。他方、時間の負担は(精神面も含めて)労力の負担も伴うわけで、これについては明らかに10年前よりはしんどくなっており、夜やろうと思って仕事を持ち帰っても、以前ほどには効率的に、あるいは猪突猛進的にぐっとやり抜くことが難しくなってきている。
昨年秋くらいから受任をやや控えるようにした部分もあるが、一つ一つの案件にかかる(かけるべき)時間や労力はむしろ増えており、その意味では負担は増大している。
来年はもう少し、人間的な豊かさを醸成できるような時間を得られるよう、仕事をコントロールできるような生活をしたいが、どうなることか。
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