帰宅が少し早めの日、帰路中途にある「やなかコーヒー」がまだ営業している。
店内には、PCを持ち込んだり、書籍を読んだりする人々。
当然コーヒーを片手に、ということだろう。
私は、夜にコーヒーを飲むと、眠れなくなってしまうので、
ほとんど飲むことがない。
たまに、地方での会合(弁護士会関係が多い)で、わりと遅くまで飲んだ際に、
締めのラーメンでなくコーヒーを飲むなんて言うことがあるが、
これは例外。
結構睡眠(特に入眠)には幼い頃から苦労していた(寝付きが悪いと言うこと)が、
眠れない日にちょっと記憶を辿ると、午後4時以降にコーヒー(紅茶や緑茶のこともあり)を飲んでいたことに思い至ることが多い。
ある先生にその話をしたところ、「気の持ちよう」と言われたことがあった。
わからない人にはわからないものなのだな、と思った。
ちょうど、初期ジェネシスのサウンドの趣深さやビートルズ中期のザワザワ感や、
コルトレーンの奏でる音色の他との違いやツェッペリンの緩急の妙について語ったところで、
わからない人にはわからないというのと同じなのだろう。
ブルース(ロック)のワンパターンさの爽快感や、初期パンクの疾走感や、ストラングラーズのベース・オルガンのからみの妙や、ブリティッシュポップの微妙なひねくれ感の心地よさを口で説明してみたところで、かいがないのと同じなのだろう。
あ、それとは違うか。それは感性の問題。
コーヒーで眠れなくなるのは、カフェインの効力への反応性の問題。器質的な話。
大丈夫な人はほんと大丈夫だそう。
逆に言えば、その人たちは仕事や試験やそんなときに眠れないように頑張るのに、
コーヒーや緑茶等のカフェインにその効果を委ねることができないということだろう。
どちらがいいのかわからない。
私としては、寝付きがよいほうがよいととても思っているが、
それでも、午後9時以降にゆったりとコーヒーを飲みながら書物を読み、音楽を聴く、という生活にも憧れる。
器質的なもの故、かなうはずのないところだが。
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