しばらく書けていなかったけれども、そんなこんなでもうお盆明け。
猛暑は衰えることなく、いつまで続くやら。
この間にも、ミュージシャンの訃報が。
・シンネイド・オコーナー
日本語表記をどうするか難しいアイリッシュシンガー。
80~90年代にブリティッシュチャートを席巻。
やはり、プリンス作の「nothing compere to you」が超有名だし、印象に残っている。
修道院かどこかで育った経歴があり、キリスト教(カトリック)に対する複雑な思いがあったようで、テレビ番組でローマ法王の写真を引き裂いたことで、その後干されることとなった。
個人的には、あまり音楽的に興味を持ったことはなかったが、一時代を築いていたと思う。
私よりも若かったよね。それはそうだ。
・ランディ・マイズナー
イーグルスの、カントリー路線の部分を担っていた人なのだと思う。
イーグルスに、ジョー・ウォルシュが加入し、「one of these nights(呪われた夜)」、そして「hotel california」と大きく路線を変える中で、グループ内での居場所が微妙となり脱退。ソロ活動でヒットも飛ばす等その後も活動を続けた。
ドゥビー・ブラザースの来日の際にも書いたかも知れないが、もともとイーグルスはかなりカントリーフレイバーが強いグループだったよう。そこでバーニー・トーピンとか、ランディとかカントリー路線のメンバーが中心を担っていたのが、徐々に路線が変わっていって、ホテルカリフォルニアのころの路線というのは、かなり当初のものとは変わっていたよう(私はこの変わったあとが好きなのであるが)。
・ロビー・ロバートソン
ザ・バンドの中心メンバー(と言っていいのかよくわからん)。ボブ・ディランのバックバンド的な位置づけもあったが、やはり、「music from big pink」あたりから始まる一連の作品では、当時のロックシーンの先端(バック・トゥ・ザ・ルーツ的なサウンドなんだけれども)を行っていたわけで、クラプトンとかウィンウッドとか、皆が米国南部を目指してやってきてしまうことになった。80年代終わりにグループから脱退し(他のメンバーとの折り合いはその後ずっと悪かったよう)、ダニエル・ラノアあたりと組んで独自の活動をしていたのも印象深かった。この、「ザ・バンド」を評価できるかどうか、ということころが、アメリカン・ロックのコアなファンかどうかの試金石になるくらいのものだとおもうのだが、私は残念ながら、そちらの指向はあまり強くなく、未だに「ザ・バンド」の良さを心底から感じることは出来ない。頭では非常によいバンドだとわかっているのだけれども、「ザ・バンド」関連のレヴォン・ヘルム、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル等々来日するといっても、食指が伸びたことはなかった。まあ、これは好みの問題だから、背伸びしても仕方ないのだが。
ザ・バンドは、ガース・ハドソンのみが存命者となったのだそう。
いずれにしても、時代はめぐってゆくのである。
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