裁判員裁判は、先週で審理が終わり、この火曜日に判決が出ました。
現在、これへの対応で他の仕事ができなかった分のしわ寄せがどっと来ております。
裁判員裁判における弁護人の役割というのは、裁判員裁判の公正さを担保するお飾りということか、という感覚を持ってしまいそうな自分がいます。検事は裁判員裁判対象事件については、固いところを起訴してきますし、ますます弁護人の途は厳しくなりますね。他の仕事へのしわ寄せも厳しいし。
それはいいとして、
去る金曜日、久々にライブへ出向きました。
場所は川崎クラブチッタ(ここは初めて)。ミュージシャンは「ジェファーソン・スターシップ」です。
同グループは、1966年頃デビューし、当時は「ジェファーソン・エアプレーン」というバンド名でした。70年代に上記名前となり、その後メンバーチェンジを経て、80年代には、「スターシップ」というバンド名で、「we built this city」なんていう小倉智昭の朝の番組のテーマソングにもなった下らない産業ロックナンバーをヒットさせてました。
今回の来日メンバーには、オリジナルメンバーはポール・カントナーしかいませんでしたが、70年代に参加していたデビッド・フライバーグ(元クイックシルバー・メッセンジャー・サービス)や、元グレイトフルデッドのメンバーも1人参加しているというので、「ポールカントナーを一度でも拝んでおきたい」「クイックシルバーの曲もやるだろうな」(実はこれが一番聞きたかった)という一抹の期待より出向いたわけです。前座にキーボード奏者が登場し(あれが元グレイトフルデッドの人だったのか?白髪・白眉毛の四角い顔の人)、グレイトフルデッドの曲や、「スキヤキ」等を演奏し、真打ち登場となりました。
演奏は、思ったより良かったように思います。ポールやデビッドらの老人メンバーと、長身の女性ボーカル、またギタリスト(ついでに言えば、ドラマーは元チューブスだと)とのコラボが、なかなか相性が良かった。とくにボーカルは、明らかにバンドの元メインボーカルであったグレース・スリックを意識した歌で、迫力もあり、「somebody to love」「white rabbit」といった往年のヒット曲では、思わず興奮を覚えました。かなりの実力者と思います。それから、デビッド・フライバーグも、婆やみたいな風貌で、もう70才くらいなんだと思いますが、迫力あるボーカルを聞かせてくれ、かつてのスターシップ全盛時代の、グレースとマーティ・バーリンのツインボーカルを彷彿させる、いい歌唱でした。
ときどきポールおじさんが、明らかにハアハアと息が上がっていたり、座って休んでたり(それから何だかアンプをひっきりなしに気にしていた・・自分のギターの音が聞こえなかったのか?)等お疲れ模様でしたが、それでも、舞台の袖から首を振りながら若いギタリストを見守る様子など、やはりこのバンドのリーダーなのだな、という印象でした。ジェファーソンの曲は、実はあまり知らなかったのですが、70年代にヒットした「count on me」「jane」等もやってくれ、他のサイケデリック・エラの曲や、ヤングブラッズのヒッピー賛歌「get together」等々、たっぷり曲を聴かせてくれました。ついでに言えば、前半でやったクイックシルバーの曲は、全部知ってる曲で、正直感動しました。
終わってから後ろの方を見たら、結構空席があったようでしたが、前から5番目くらいと言うかなりいい席だったこともあり、個人的には思ったよりも満足のライブでした。Ⅰ列目等には、かなり年配の人もいたので(全体に客層の年齢は高かったが)、著名な音楽評論家もいたんでしょう。
過去に見たライブで、印象に残っているものと言えば、初めてのライブだったボストン、アメリカでブレイク直後だった81年のポリス、同年の復活キング・クリムゾン、やはりブレイク中だった83年のU2、そのころほとんどやってなかったクリームの曲をやってくれた85年のエリック・クラプトン、司法試験の勉強の合間、券が買えずに東京ドームの外で聞いてようと出向いたところ、通りがかりの人にアリーナ券を原価で譲ってもらった初来日ローリング・ストーンズ、94年くらいだったか?ジョージ・ハリスン&エリック・クラプトン、前座がかったるかったレイディオ・ヘッド、それから、ポール・ロジャース、スティーブ・ウインウッド、そして数年後に夭折したジェフ・バックリィ・・等々いろいろありましたね。記憶の彼方に行ってしまった人もいると思いますが。なお、見損なって後悔しているのは、オリジナルメンバーでのクイーン、83年に早稲田祭に来たREM、リックライト存命時のピンク・フロイド等々これまたいろいろあるなあ。
現在、これへの対応で他の仕事ができなかった分のしわ寄せがどっと来ております。
裁判員裁判における弁護人の役割というのは、裁判員裁判の公正さを担保するお飾りということか、という感覚を持ってしまいそうな自分がいます。検事は裁判員裁判対象事件については、固いところを起訴してきますし、ますます弁護人の途は厳しくなりますね。他の仕事へのしわ寄せも厳しいし。
それはいいとして、
去る金曜日、久々にライブへ出向きました。
場所は川崎クラブチッタ(ここは初めて)。ミュージシャンは「ジェファーソン・スターシップ」です。
同グループは、1966年頃デビューし、当時は「ジェファーソン・エアプレーン」というバンド名でした。70年代に上記名前となり、その後メンバーチェンジを経て、80年代には、「スターシップ」というバンド名で、「we built this city」なんていう小倉智昭の朝の番組のテーマソングにもなった下らない産業ロックナンバーをヒットさせてました。
今回の来日メンバーには、オリジナルメンバーはポール・カントナーしかいませんでしたが、70年代に参加していたデビッド・フライバーグ(元クイックシルバー・メッセンジャー・サービス)や、元グレイトフルデッドのメンバーも1人参加しているというので、「ポールカントナーを一度でも拝んでおきたい」「クイックシルバーの曲もやるだろうな」(実はこれが一番聞きたかった)という一抹の期待より出向いたわけです。前座にキーボード奏者が登場し(あれが元グレイトフルデッドの人だったのか?白髪・白眉毛の四角い顔の人)、グレイトフルデッドの曲や、「スキヤキ」等を演奏し、真打ち登場となりました。
演奏は、思ったより良かったように思います。ポールやデビッドらの老人メンバーと、長身の女性ボーカル、またギタリスト(ついでに言えば、ドラマーは元チューブスだと)とのコラボが、なかなか相性が良かった。とくにボーカルは、明らかにバンドの元メインボーカルであったグレース・スリックを意識した歌で、迫力もあり、「somebody to love」「white rabbit」といった往年のヒット曲では、思わず興奮を覚えました。かなりの実力者と思います。それから、デビッド・フライバーグも、婆やみたいな風貌で、もう70才くらいなんだと思いますが、迫力あるボーカルを聞かせてくれ、かつてのスターシップ全盛時代の、グレースとマーティ・バーリンのツインボーカルを彷彿させる、いい歌唱でした。
ときどきポールおじさんが、明らかにハアハアと息が上がっていたり、座って休んでたり(それから何だかアンプをひっきりなしに気にしていた・・自分のギターの音が聞こえなかったのか?)等お疲れ模様でしたが、それでも、舞台の袖から首を振りながら若いギタリストを見守る様子など、やはりこのバンドのリーダーなのだな、という印象でした。ジェファーソンの曲は、実はあまり知らなかったのですが、70年代にヒットした「count on me」「jane」等もやってくれ、他のサイケデリック・エラの曲や、ヤングブラッズのヒッピー賛歌「get together」等々、たっぷり曲を聴かせてくれました。ついでに言えば、前半でやったクイックシルバーの曲は、全部知ってる曲で、正直感動しました。
終わってから後ろの方を見たら、結構空席があったようでしたが、前から5番目くらいと言うかなりいい席だったこともあり、個人的には思ったよりも満足のライブでした。Ⅰ列目等には、かなり年配の人もいたので(全体に客層の年齢は高かったが)、著名な音楽評論家もいたんでしょう。
過去に見たライブで、印象に残っているものと言えば、初めてのライブだったボストン、アメリカでブレイク直後だった81年のポリス、同年の復活キング・クリムゾン、やはりブレイク中だった83年のU2、そのころほとんどやってなかったクリームの曲をやってくれた85年のエリック・クラプトン、司法試験の勉強の合間、券が買えずに東京ドームの外で聞いてようと出向いたところ、通りがかりの人にアリーナ券を原価で譲ってもらった初来日ローリング・ストーンズ、94年くらいだったか?ジョージ・ハリスン&エリック・クラプトン、前座がかったるかったレイディオ・ヘッド、それから、ポール・ロジャース、スティーブ・ウインウッド、そして数年後に夭折したジェフ・バックリィ・・等々いろいろありましたね。記憶の彼方に行ってしまった人もいると思いますが。なお、見損なって後悔しているのは、オリジナルメンバーでのクイーン、83年に早稲田祭に来たREM、リックライト存命時のピンク・フロイド等々これまたいろいろあるなあ。
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