しらんぷりする、ということ。

自分の他者からの評判とか噂というのは、何となく気になるもの。

全く気にならないという方も、実際おいでになるとは思います。

気にならない方には、何の問題もないのでしょうが、
気になる人間にとっては、やっかい。

とりわけ、自分を悪く言っているとか、
自分を貶めようとしている、
あるいは、軽く見ているような話というのは、気になると気分が悪い。
反撃でもしてやろうかとか思う。

しかし、
これを「しらんぷり」すること。
「しらんぷり」出来るようになること。
これが大事なんじゃないか。

反撃しても、とことんまで気にしても、
知らんぷりしても、
所詮結果はさほど変わらない
(むしろ、反撃などと言うのは、無用なあつれきを生む)。

「しらんぷり」できるようになるということは、
1つの大人の態度の体得ということか?
あるいは、人間関係を損なわないための技ということか。


最近よく、トラブルの元になりやすいのは、メール。
メールでのやりとりも、一定の「しらんぷり」を体得することで、
問題を生じさせずに済むのだろうと思う。

それでも、私などは、そこまで大人になってないので、
とりあえず、メールの文章を書いてしまう。

そして、一晩寝かせる。

そうすると、翌朝大概は、そのメールは送る必要がなかったものだったと気づく。

ただ、そういったメールの中でも、
何となく消去できずにいるものが、
何年も「下書きフォルダ」に入っていたりする。


やはり、本当の意味で、「しらんぷり」はできていないということね。



ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

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