物心のついたころから、運動は苦手、運動神経が鈍い、という感覚を抱いてきた。
小学校の1年間は卓球部、中学はオリエンテーリング部(なかなか珍しいと思う)、高校は水泳部、そして大学は部活ではないがそれなりに練習するテニスサークル(+出身高校の臨海学校の応援チーム=活動は夏だけではない。極めて体育会的な団体。)、という感じで、いつも運動系のところに所属していた。運動が苦手だったので、これで文化部に入ったらますます運動音痴のままいってしまうような気がして、何か1つでもものにできないかと思った部分もあった。
しかし、結局ものになったものはない。
とりわけ、水泳について言えば、この中でも一番きつく、また上下関係が辛い部活だったが、やめずに続けただけで、結局自分は水泳には向いてなかった、ということが最終的によく分かった、ということで終わった。「人間、やればできる。」ということでもないのだな、そんなのうそだ、という感覚が、ここで培われてしまった。
ただ、部活はかけがえのないものを残してくれる。それはやはり人間関係。高校、大学の部活ないしサークルの繋がりは、その時代の他の繋がりと比べて濃く、未だに単なる年賀状のつきあいを越えた繋がりを維持できている。それは、何かの時に何かと役にたっている。昨今、中高生等に部活を忌避する動きが強くなってきているようだが、ちょっともったいない気がする。なんやかや言っても、人間1人で生きてゆくことはできないのだから、部活本体の競技の実力等は伸びなくても、今後の人生のために役立つそれ以外の収穫はいろいろとあるのではないか。
今夜も、30数年前には鬼とみなしていた、その後建築家になった先輩と食事する予定。
小学校の1年間は卓球部、中学はオリエンテーリング部(なかなか珍しいと思う)、高校は水泳部、そして大学は部活ではないがそれなりに練習するテニスサークル(+出身高校の臨海学校の応援チーム=活動は夏だけではない。極めて体育会的な団体。)、という感じで、いつも運動系のところに所属していた。運動が苦手だったので、これで文化部に入ったらますます運動音痴のままいってしまうような気がして、何か1つでもものにできないかと思った部分もあった。
しかし、結局ものになったものはない。
とりわけ、水泳について言えば、この中でも一番きつく、また上下関係が辛い部活だったが、やめずに続けただけで、結局自分は水泳には向いてなかった、ということが最終的によく分かった、ということで終わった。「人間、やればできる。」ということでもないのだな、そんなのうそだ、という感覚が、ここで培われてしまった。
ただ、部活はかけがえのないものを残してくれる。それはやはり人間関係。高校、大学の部活ないしサークルの繋がりは、その時代の他の繋がりと比べて濃く、未だに単なる年賀状のつきあいを越えた繋がりを維持できている。それは、何かの時に何かと役にたっている。昨今、中高生等に部活を忌避する動きが強くなってきているようだが、ちょっともったいない気がする。なんやかや言っても、人間1人で生きてゆくことはできないのだから、部活本体の競技の実力等は伸びなくても、今後の人生のために役立つそれ以外の収穫はいろいろとあるのではないか。
今夜も、30数年前には鬼とみなしていた、その後建築家になった先輩と食事する予定。
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