プリンスのことは、ずっと書きたかった。

プリンスは、80年代におけるデヴィッド・ボウイの役割を果たしていたんじゃないかと思う。

70年代末期頃に登場。
「I WANNA BE YOUR LOVER」がスマッシュヒットしたあたりでは、まだよく分からず、マイケルの亜流かな?でもちょっとセンス悪いな、てなイメージしかなかった(私も中学生だった。)。

それが、その次の2枚のアルバムあたりで(「CONTRAVERSY」とか。綴り心配。聞いてはいないのだが。)、ビルボードの「ダンス・ディスコアクション」というチャートの上位にランキング。ここにランクインするミュージシャンには、結構いいのがいる、という印象をこの頃から受けていたが(マドンナ、初期のトンプソン・ツインズ等)、その上で1982年ころに「1999」で一挙にブレイク。
黒人ミュージシャンとしてはかなりロックよりのサウンド(ジミヘンもイメージ)。そこに往年のスライ&ザ・ファミリーストーンや、P・ファンクの流れ、さらにマイケルあたりの音も入ったミクスチャー感。かなり独特の過剰感もあるサウンドだったが、その次の「PURPLE RAIN」で頂点に達した。「WHEN DOVES CRY」がトップ40に初登場したとき、そのイントロを聴いたときの衝撃は、今でも忘れられない。「LET'S GO CRAZY」「I WOULD DIE FOR YOU」等々、リアルタイムでとても印象に残っている(見事にこけたパープルレインの映画はご愛敬だったが。)。

しかし、本当のプリンスのすごさを知ったのは、この後から。

この次に出た「AROUND THE WORLD IN A DAY」は、前作とは全く違う、サイケデリックかつ内向的なアルバム。スライでいえば、前作が「STAND!」で、このアルバムが「THERE'S A RIOT GOIN' ON(暴動)」にあたるということだろう。タイトル曲、「PAYSLEY PARK」「AMERICA」「RASBERRY BERETT」(綴り心配)「CONDITION OF THE HEART」・・・・私は当時、このアルバムを何回聴いたか分からん。本当にすばらしいアルバムだった。

さらに、この次に出た、「PARADE」「SIGN OF THE TIMES」 プリンスはどこまでの高みに達するのか、という感じであった。この高まりは、ある意味ビートルズ後期的でもあり、またその変化の有り様は、まさに80年代における「ブラック・デヴィッド・ボウイ」という評価がふさわしかった。いずれも、「PURPLE RAIN」のころの、開放的な音ではなく、息詰まるほどに内省的な音であった。
「SIGN OF THE TIMES」に入っている、「THE BALLAD OF DROTHY PARKAR」(綴り心配)は、白眉。80年代後半に出たあらゆる楽曲の中でも指折り。

その後もプリンスは、「KISS」のようななんとも・・という曲をシングルカットしたり(アルバムは「LOVESEXY」、それから「PRINCE」の名前を返上して、「THE ARTIST FORMARY KNOWN AS PRINCE」(実際は変な記号を使っていた)を名乗ってみたり、またぶっといジャズに接近してみたりと、ごく最近に至っても精力的に活動していて、まだまだ今後に期待が持てるアーティストだった。

1980年代末ころだったか、横浜スタジアムでの公演(シーラ・Eも来ていた)に友人と行ったが、グランドの平場でスタンディングだったので、前の長身の外国人が邪魔で、ほとんど見えずまいったことを思い出す。

本当に、本当に残念である。

また、大変な数のミュージシャンが追悼・トリビュートするんだろう。オバマの声明も愛情がこもっていた。

それにしても、2016年はなんて年なんだ。



ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

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