アーティスト探訪~デヴィッドボウイその4

10月末は仁川の弁護士会を京都に迎えての2泊3日。
埼玉なのに京都で迎えたのは、仁川の希望を汲んでのこと。
毎回これでは結構きついけど、それでも交流の実は今回も上がったと思う。
今回は、以前よりも全体を考慮して、個人的な交流は少なめにしたが、それでもハングルを試す機会にはなったと思う。
次回までにどのくらい上達することができるか。
一応、毎回上達しているような感覚はあるのだが。
死ぬまでに、どのくらいマスターできるかな。
英語のマスターを諦めたかわりに。

最近、手の指がなんだか痛むことが多いのだが、昨夜ふと目覚めた時、実はその痛みは、すでに体のどこかで生じたガンが骨転移して、まさに体中に広がってしまっているためなのでは、などとの思いにとらわれてしまった。ガンというのはそんな感じで、気づかないうちに体に浸透しているものなのかも知れない、などと。休肝日を設けているとは言え、強くもないのに連日しっかり酒を飲んでるし、そういうわけでそんなことにもなるんだろうな、などと考えつつも、その後程なくまた眠りについたが。


さて。
デヴィッドボウイその4。

「station to station」(1975)
このアルバムまでは、アメリカ色がかなり濃い連作という感じ。
しかし、このアルバムは、さらに次へつながる感じがなんとなく出ている(そのような意図があったのかどうか分からないが)。
イントロのタイトル曲は、いきなり9分くらいの大曲。ボウイらしいマイナー調の重いチューンの前半から、途中でアップテンポに変わり、一気に駆け抜ける。鉄道をモチーフにした曲はいろいろあり(「locomotive」by robert wyatt 「locomotive breath」by jethro tull 「train train」by blackfoot 等々)、だいたい曲の感じは共通するのだが、この曲もそのような部分を持ち合わせている。2曲目は、当時のアメリカにおけるボウイの最大のヒット曲「golden years」。アメリカ的なチューンだが良い曲。フィラデルフィアソウルを下敷きにしている感じ。レコードだとA面はこの2曲だけ(だよねたしか)。B面は4曲。割とミディアムテンポの曲の中で、特に私のお気に入りは3曲目の「stay」。これもフィラデルフィアソウルを下敷きにしていると思うが、よりファンキーなギターのリフ。正直「かっこいい」としかいいようのないチューン。ギターは誰が弾いてたんだったか(カルロス・アロマー?)。70年代中期のファンキー・ディスコに見られた最良のサウンド。wild cherryの「play that funky music」とか、KC&サンシャインバンドとかにも通じる感じ(もっと上質か)。次の「野生の息吹~wild is the wind」と並んで、アメリカ時代の幕引きにうってつけの曲。いやあ。もう少し気の利いたことを言いたいんだけど、理屈じゃないんだよな最終的には。

「low」(1976)
言わずと知れた「ベルリン3部作」の第1陣。イーノやロバート・フリップのフォローも受けて、シンセを前面に駆使した独特の、それまでのアメリカ時代とは打って変わったサウンドを聴かせている。A面の1曲目は、BS放送の映画番組の前振りにも使われてお馴染みの「speed of life」。2曲目は、84年来日時に見に行った公演でイントロを間違えてやり直してた「breaking glass」。3曲目はボウイらくて個人的に昔からとてもお気に入りの「what in the world」、4曲目はイギリスで3位まで行ったシングルヒット「sound and vision」(さらに後3曲)。てな感じで、A面はいずれもいい曲ばかり。レコードB面にいくと、まず「v-2 shnaider」でシンセサウンドの露払いを奏で、その後、「warshawa」から始まる、全く異なる重苦しい世界。私のボウイとの出会いはまさにここだったので、当初(中1のころ)は、正直アーティスティックすぎてついて行けなかった。いまとなっては本当にすばらしい、このアルバムと次があったから、ボウイはアーティストとしても永遠に名を留めることとなったと思う。今作と次作は日本人がジャケット写真を手がけたことでも話題になった(リアルタイムではよく知らなかったが)。傑作だなあ。

「heroes」(1977)
中1のころ、海外放送をよく聞いており、その中でラジオ・オーストラリアの日本語放送に、「トップテン」という番組があった。ジョン・ポール・ヤングのようなオーストラリアのポップシンガーや、ボニーMのようなイギリスでやけに人気のあったディスコグループ、それからケイト・ブッシュの衝撃のデビュー曲「嵐が丘」なんかもそこで仕入れることができたが、ボウイの「heroes」も、このトップテンで最初に聞いた。海の向こうからの電波は時々文字通り「波打つ」ように聞こえることがあったのだが、この「heroes」も波打つように聞こえてきて(実はもとの曲のシンセ音がまさにそのような音なのだ)、とても印象深く覚えている。
そういうわけで、このアルバム、セールス的には「low」ほどではなかったようだが、個人的にはより好みである。まずA面、「beauty and the beast」「joe the lion」「heroes」「sons of the silent age」「black out」。捨て曲が一曲もない。すばらしい。今聞いても傑作としか言いようがない。そしてB面。「low」と同様のコンセプトだが、「moss garden」のような日本庭園をモチーフにした曲も入っていたりして、その後イーノが取り組んだ環境音楽にもつながるようなサウンド。さらにラストナンバーは、次のアルバム「lodger(間借人)」への橋渡しとなるような「the secret life of arabia」。私はこのラストナンバーに入る部分が、またこのアルバムの白眉というべき部分の1つと長年思っている(静寂or混沌→覚醒・前進・・この感じは、個人的にはRADIOHEADの「KID A」のラスト近くでも感じたところなんだなあ。)。このアルバムも、ボウイの作品の中でベスト5には絶対に入る傑作。未だに引っ張り出して聞くことがちょくちょくある。

「lodger」(1978)
私がボウイに本格的に入り込むのが若干遅くなったのは、リアルタイムでの出会いが前記「low」のB面だったり、この「lodger」だったりしたことが大きく影響している。私は、このアルバムをボウイの次作・新譜として聴いて、なんてボウイって難しいんだろうと、最初に思ってしまった。このアルバムも、「ベルリン~」の1つなのだが、全2作とは若干おもむきが異なり、もうすこし開放的、かつワールドミュージックへの傾倒が感じられるようなものになっていた(と思う。前記したような出会いだったこともあり、このアルバムはほんとあまり聞き込んでいないのだ。購入したけどどっかいっちゃったし。)。もちろん、「ジギー・・」のような以前のアルバムも少しは聞いていたのだが、初期段階でこれを新譜として聞いてしまったことで、私はその後、ボウイのそれまでの全貌を知るまでに、4,5年くらい回り道をすることとなった。

「scarey monsters」(1980)
このアルバムも、アルバムとしてそんなには聞き込んではいない。イントロの曲「it's no game」でいきなり、女性の日本語の台詞が異様な感じで入り、また今作も取っつきにくいかな、などと当時は感じてしまったというのが正直なところである。しかし、イギリスでヒットした「ashes to ashes」(1位)、「fashion」、それにタイトル曲が結構よく、まだこのアルバムあたりのボウイは、まさに「ボウイ」だったし、まだまだ今後が期待できた。

しかしその後、ボウイはまさしく「スーパースター」となってしまい、それに従ってというか、普通のミュージシャンの風情になってしまっていった。
その後もそこそこ聞いてはいたが、熱心なファンとは言えなかったなあ。
次回ボウイについて最終回。

ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

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