憲法のこと

憲法、とりわけ改正論議になると、
かならず9条の話が前面に出てくる。
そりゃあ、憲法9条のような条文は、世界的に見ても他に例があまりないものだろし、
人類の理想を大きく目標に掲げたものでもあるから、
これを守ろう、と言う発想になることは、よくわかる。

しかし、
何となく気になっているのは、
9条に集中しすぎることで、
他の大事な部分をおろそかにしやしないかということ。

9条を守る、と言って、あとは思考停止しているような人がいる気がしてならない。

9条のあり方というのは、リアルな国際情勢の中において考えてゆかざるを得ないことはいうまでもない。
誰かが言っていたけれども、ほんの30年くらい前には、自衛隊は違憲論が主流だったはずなのに、
今は自衛隊が違憲だと正面から主張する憲法学者は以前より大幅に減っていると思う。これ自体、前記の発想が背景にある(これを無視できない)からだと思われる。

個人的には、東西冷戦の中で、日米安保条約が存在していなかったとして、この9条に基づく秩序がどのようになっていたのか、などと、つい考えてしまう。
孤高の非武装中立でもいけていたのかもしれないが、実際にそのような状況下にはなかったので、推測でものを言うしかない(もちろん、そうであった可能性も否定は出来ない。もしそうであったなら、もう少し国際的にも日本は、平和外交を大々的に押し出して行けているのかもしれない。しかし、それを訴えていた社会党は、冷戦時に一度も政権交代へ近づけたことはなかった。その気もなかったのかもしれないが。)。

日米安保の存在は、功罪両面あるのだろうが、近隣諸国との外交関係が今ひとつうまく行かないのも、実は日米安保条約下で、日本外交が自らの頭で自主的な発想をしないで来たからではないか、等と思ってみたりもする(もちろん、これについても反対の考え方もあり得る。孤高の存在は必ずしも「非武装中立」ではなかったのかもしれない。日米安保がなければ早々に9条は変わっていた・・武装中立(かどうかもわからないが)路線をとっていたのかもしれない、と言うパラドキシカルな見方である。)。もっとも、対中東外交では、資源確保の問題もあり、そこそこ独自路線でやっているんだけど、それは戦争の当事者と言いがたい関係だったからなのだろうね。

最近思うのだけれども、反対すべきは「憲法改正」ではなく、「憲法的価値秩序の修正」なのではないか。数年前に出た自民党の改憲草案だが、悪い冗談かと言うほどのひどい内容だと思う。いったい、何を考えているのか。日本社会をどこへ持っていこうとしているのか。

9条に集中するのもいいが、あまりそうしすぎて、虻蜂取らずになってしまわないか?

いったん流れが出来れば、どんどん流れてしまってゆくように思う。昨今の自民党の議員の言動や、自民党でなくともその補完勢力の言動を見れば、いつでも流れは大きくやってこられてしまうように思う。
初詣で神社に行くと、自分たち以外の全員が、あのきちんとした神式のお参りをしている。こんなのも、私の不安感を増幅させる(誰がこのようにさせているのか?私は日本人として失格なのか?神社へお参りに行くことは禁じられないとは思うが。)。

例えば憲法24条。本当に心配である。
むしろ、24条を、同性婚も踏まえたような形に変える、というような攻めの姿勢・・憲法的価値を守り、さらに進める方向での改憲論議があっても良いのではないか?
要するに、憲法的価値の維持・発展へ向けた改憲論議、こういった発想があってもいいのではないか、などと考えてしまうのである(この例なんかについては、まだまだ抵抗は強いと思うが)。

「改憲の土俵に乗ったら、9条改正派のいいように進められてしまう。」という、長年のある種のドグマ的思考から、
なんとか脱することはできないものなのだろうか。

・・・なんていうことは、弁護士会的にはタブーの議論なのだろうけど、書いてしまった(笑)。

ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

0コメント

  • 1000 / 1000