今年は、1968年からちょうど50年の年。
当時の社会情勢などを回顧するような記事が、いろいろと出され、また行事も開かれたりしたようである。
音楽的にも、1968年というのは、まさに「ロック・レボリューション」のただ中。
この年の前後の頃に、ロック史上に残るすばらしい作品が多く出されており(ローリング・ストーンズの「ベガーズ・バンケット」、ジミヘンの「エレクトリック・レディランド」、ビッグブラザー&ホールディング・カンパニー(feat.ジャニス・ジョプリン)の「チープ・スリル」がいずれも68年)、またロック史に残るミュージシャン・バンドがいくつも登場している(レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、イエス等々が登場。クリームは解散。)。
そんな1968年に出された名盤の1つが,通称「ホワイト・アルバム」と言われる、ビートルズの(二枚組の)アルバム。
実際のタイトルは、「ザ・ビートルズ」。
今から40年ほど前に購入したレコード盤には、通し番号が入っており、また、付録として、ポスターのようなものも入っていた(メンバーのいろんな写真が切り貼りされたようなもの。ジョンの×××もちょっと写っていたような・・)。
ビートルズのアルバムには、いうまでもなく名盤がいくつもある。その中には、「サージェント・ペッパー」のような、(製作経緯は別として)トータル・アルバムとして高く評価されているもの、また「リボルバー」のように、先駆性において支持が高いものがある。
「ホワイト・アルバム」は、一言で言えばとっちらかったアルバム。しかし、そのバリエーションたるや一級品であり、本当にこのバンドの驚くべき幅の広さを知ることが出来る。
A面だけみても・・
back in the USSR(イントロからストレートなロックナンバー。ビーチボーイズ風のコーラスも。)
dear prudence(綴り危うい。ジョンのちょっとうつろげなナンバー。シンプルだが味わい深い。スージー&ザ・バンシーズのカバーも有名)
glass onion(ポール死亡説にも絡んでいると言われるジョンのロックナンバー)
ob-la-di,ob-la-da(綴り危うい。この超有名なポップ・ナンバーは、なんとレゲエをロックに取り入れた最初期のもの)
wild honey pie(余興かよ、というようなつなぎの曲)
continuing the story of bungalow bill(これも綴り危うい。ジョンの物語風の曲。)
while my guitar gently weeps(ジョージの名作の1つ。ここで聞ける泣きのギターが何とジョージではなかった、ということにショックを受けた人も少なくなかったよう。)
happiness is a warm gun(ジョンの、これも物語風というか、ハードボイルドタッチの曲)
というように、本当にバラエティに富んでいる。
さらに、本アルバムにおけるリンゴの唯一の自作(やはりカントリー風)「don't pass me by」、ポールのピアノ小品の傑作「martha my dear」、名曲のブルースロックバージョン「revolution 1」、プログレというよりも現代音楽?「revolution no.9」、ジョンらしい気怠いミディアムテンポロック「I'm so tired」、ボードビル調の「honey pie」等々、その他全30曲(だったと思う)である。
個人的には、「birthday」から始まり、「yer blues」、「helter skelter」、「sexy sadie」,「long,long.long」と、私好みの曲が並ぶ、レコードでいうとC面が好みである。
このアルバムを出した後、ビートルズは伝説的な「get back session」に入るが(アップルビル屋上でのライブが印象深い)、これが事実上頓挫する中で、アルバム「let it be」が作られ、さらにほぼ空中分解の中で最後の輝きを見せた「abbey road」(後半はほぼポールの独壇場だが)を発表して、永久に消えたのである。
ホワイト・アルバムは、その奇跡的かつ驚異の先駆性・独創性が示された、言わば最後のアルバムと言ってもいいのではないかと思われる。
また個人的な話ではあるが、ビートルズで一番好きなアルバムでもある。
それにしても、あの「let it be」の映画は、正式に発売されることはもうないのだろうか。重苦しくて嫌いだ、という人も少なくないのだけれども、未発表映像も含めて出されないものか(海賊版はあるが)。小6の時にテレビで見て以来見てないのである。歴史的にも貴重な資料という意味合いもあると思うのだけれど。
当時の社会情勢などを回顧するような記事が、いろいろと出され、また行事も開かれたりしたようである。
音楽的にも、1968年というのは、まさに「ロック・レボリューション」のただ中。
この年の前後の頃に、ロック史上に残るすばらしい作品が多く出されており(ローリング・ストーンズの「ベガーズ・バンケット」、ジミヘンの「エレクトリック・レディランド」、ビッグブラザー&ホールディング・カンパニー(feat.ジャニス・ジョプリン)の「チープ・スリル」がいずれも68年)、またロック史に残るミュージシャン・バンドがいくつも登場している(レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、イエス等々が登場。クリームは解散。)。
そんな1968年に出された名盤の1つが,通称「ホワイト・アルバム」と言われる、ビートルズの(二枚組の)アルバム。
実際のタイトルは、「ザ・ビートルズ」。
今から40年ほど前に購入したレコード盤には、通し番号が入っており、また、付録として、ポスターのようなものも入っていた(メンバーのいろんな写真が切り貼りされたようなもの。ジョンの×××もちょっと写っていたような・・)。
ビートルズのアルバムには、いうまでもなく名盤がいくつもある。その中には、「サージェント・ペッパー」のような、(製作経緯は別として)トータル・アルバムとして高く評価されているもの、また「リボルバー」のように、先駆性において支持が高いものがある。
「ホワイト・アルバム」は、一言で言えばとっちらかったアルバム。しかし、そのバリエーションたるや一級品であり、本当にこのバンドの驚くべき幅の広さを知ることが出来る。
A面だけみても・・
back in the USSR(イントロからストレートなロックナンバー。ビーチボーイズ風のコーラスも。)
dear prudence(綴り危うい。ジョンのちょっとうつろげなナンバー。シンプルだが味わい深い。スージー&ザ・バンシーズのカバーも有名)
glass onion(ポール死亡説にも絡んでいると言われるジョンのロックナンバー)
ob-la-di,ob-la-da(綴り危うい。この超有名なポップ・ナンバーは、なんとレゲエをロックに取り入れた最初期のもの)
wild honey pie(余興かよ、というようなつなぎの曲)
continuing the story of bungalow bill(これも綴り危うい。ジョンの物語風の曲。)
while my guitar gently weeps(ジョージの名作の1つ。ここで聞ける泣きのギターが何とジョージではなかった、ということにショックを受けた人も少なくなかったよう。)
happiness is a warm gun(ジョンの、これも物語風というか、ハードボイルドタッチの曲)
というように、本当にバラエティに富んでいる。
さらに、本アルバムにおけるリンゴの唯一の自作(やはりカントリー風)「don't pass me by」、ポールのピアノ小品の傑作「martha my dear」、名曲のブルースロックバージョン「revolution 1」、プログレというよりも現代音楽?「revolution no.9」、ジョンらしい気怠いミディアムテンポロック「I'm so tired」、ボードビル調の「honey pie」等々、その他全30曲(だったと思う)である。
個人的には、「birthday」から始まり、「yer blues」、「helter skelter」、「sexy sadie」,「long,long.long」と、私好みの曲が並ぶ、レコードでいうとC面が好みである。
このアルバムを出した後、ビートルズは伝説的な「get back session」に入るが(アップルビル屋上でのライブが印象深い)、これが事実上頓挫する中で、アルバム「let it be」が作られ、さらにほぼ空中分解の中で最後の輝きを見せた「abbey road」(後半はほぼポールの独壇場だが)を発表して、永久に消えたのである。
ホワイト・アルバムは、その奇跡的かつ驚異の先駆性・独創性が示された、言わば最後のアルバムと言ってもいいのではないかと思われる。
また個人的な話ではあるが、ビートルズで一番好きなアルバムでもある。
それにしても、あの「let it be」の映画は、正式に発売されることはもうないのだろうか。重苦しくて嫌いだ、という人も少なくないのだけれども、未発表映像も含めて出されないものか(海賊版はあるが)。小6の時にテレビで見て以来見てないのである。歴史的にも貴重な資料という意味合いもあると思うのだけれど。
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