以前も書いたけれども、小6だった1976年、私を洋楽ロックの世界に落とし込んでしまったきっかけを作ったのが、
「クイーン」であった。
同年夏の小学校の「修学旅行」のあたりから、クラスメイトの何人かから(多くは兄貴や姉貴がいた連中)、「ベイ・シティ・ローラーズ」「クイーン」「キッス」「ビートルズ」等の名前が出るようになり、東京に戻った私は、ラジオの洋楽番組(例えば、文化放送で6時半から8時までやっていた「電リク’76」、8時からやっていた「土井まさるのポップスナンバーワン」、それから、ニッポン放送や文化放送のポップスベスト10)などで、その後貪欲に洋楽情報を吸収するようになった。それから40年を優に超えている。
そんな中、圧倒的に自分の感性に訴えかけてきたのが「クイーン」だった。当時ヒットしていたのは「マイ・ベスト・フレンド」。まずこの曲のメロディーに魅せられた。その後、クイーンのそれまでのさまざまなヒット曲を聴くことになるが、どれを取ってもいい曲ばかり。独特のコーラスワーク、これまた独特(当時は「独特」かどうかは判断がつかなかったが)のフレーズを醸し出す、ブライアンメイのギター、そして、その後のロック遍歴の中で、どんどん分からなくなったそのサウンドのカテゴライズ、言わば「ノンジャンル」(ハードロックでもない、グラムロック(デヴィッド・ボウイやTレックスというよりも、sweetやsladeのほうが引き合いに出されたのだろうが)の残渣と言われけなされたそうだが(当時もイギリスで「ションベン桶」と言われていたという話が聞こえていた)、そういうわけでもなし、プログレかと思うような曲もあれば、名盤「オペラ座の夜」の中にはボードビル調の曲やカントリー調の曲もあり、さらに「the prophit song」のような唯一無二の曲もあったり等。)、いや、「クイーン」という独自のジャンルを形成しているのではないかとすら思わせるようなサウンドであった(その後、明確にクイーンを踏襲しているフォロワーバンドはいないといっていいと思われる。)。
それでも、1977年暮れの「news of the world」までは、その独特の英国的なセンスが前面に出ていたが、次の「jazz」あたりから訳が分からなくなり、全米ナンバーワンヒットはアコースティックなロカビリー調の「the crazy little thing called love」、さらにその後ジョンディーコン作の大変苦手なディスコ曲「地獄へ道連れ」、さらに「フラッシュゴードン」、起死回生のシングル「one vision」。このころにはすっかりフレディは短髪ちょびひげの独特の風貌で、スタジアムロックの雄と化し、その地位が確立したものと思っていたが、その後フレディのソロ活動が「the great pretender」とか、ルキアーノ・パバロッティ(だったか)とのコラボ「バルセロナ」等、およそついて行けない領域に入っていく中、突然の新聞上での「世界の人々に真実を伝えるときが来た。私はエイズ。」との告知、そしてそれから1週間するかしないかのうちの死亡記事。その記事を見た次の瞬間に、私は「あの曲がかならずイギリスで1位になる」と思った。そして、数週間もしないうちにそれが現実に。「ボヘミアン・ラプソディ」。
そういうわけで、前振りが大変長くなった。クイーンについては、当初(70年代の時点)とても思い入れがあっただけに、「jazz」以降はどんどん自分の感覚から離れてしまっていくとの印象が拭えず、その最たる頃(85年)にあった来日公演は行きそびれてしまった。
そのクイーンの歩みがテーマになったというこの映画。11月から日本上映開始だというのに、1月になってもほぼ満員であった。なんでも、興収が100億円を越えるかもしれないというのである。あのETが、90億円ですごいと言われたのである。これはどういうことか?どんなにすごい映画なのか??
実際見てみて、正直これは、「音楽映画」でしょう、それなのになんでこんなにお客が日本ではいるの???というのが率直な感想だった。自分にとっては、その話の流れ・内容はほぼ80%以上は知っていることだったり、また感覚的に理解できるものであったし、映画中でかかる曲は他のバンドのものも含めてほぼ全て知っていた(だからこそ、「史実」とは違うなと思った部分もあったりもした。)。個人的にはとても楽しめたし、何度も涙腺が危なくなっていた。
しかし、この映画が、一般的なポピュラリティーを、この2019年の日本において得た、しかも、世代的に若い世代も含めて、というところが、本当に驚くべきことである(50代以上が盛り上がるのは分かるが、それだけではここまでの興収にはならないだろう)。
「ボヘミアン・ラプソディ」という楽曲そのものは、もちろん英国で出た当時も9週連続1位になったようなものであり、フレディが死んだときも私の予言通り1位に返り咲いてきた、まさに「これぞクイーン」という曲ではある。しかし、冷静に考えれば、3つくらいの曲からなる組曲(ミディアム部門、オペラ部門、ハードロック部門)であって、大げさであるのはもちろん、一言で言えば「変な曲」でもある。映画中でもレコード会社の上部の人間が「こんな長い曲はシングルヒットしない」と言っていたが、そう言われてもおかしくないような曲である(もちろん、長い曲でも大ヒット曲はたくさんある。hey jude」しかり、「hotel california」しかり)。こんな曲をタイトルに冠し、しかも全面基本的にクイーンの音楽遍歴(もちろんフレディの出自や性的指向、およびスーパースター故の孤独等が醸し出すドラマ仕立てもあるとはいえ)をたどっているこの映画が、大ヒットとは・・。なんというか、感慨深いというよりも、よく訳が分からない、というのが正直なところである。
クイーンは確かに日本での爆発が大きかったようだが、それでもここまで幅広い人気があったと言うことか?
それとも、時代を超えて普遍性を有する音楽を、このグループは作ることが出来ていたということなのか?
もし、ビートルズについて、同じような映画が今作られて上映されても、日本でここまでヒットするかどうか(そこそこはヒットするだろうが)。少なくとも、ローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンでは、そこまでには到底ならないだろう。
それにしても、ブライアン・メイ役はホントに似ていたな。ジョン・ディーコン役も、時々とんでもなく似ている表情を見せていた。もっとも、一番似てないフレディ役が、実はもっとも演技抄物だったと思うが(・・ゴールデングローブ賞の主演男優賞を取ったらしいが)。
どうでもいいが、個人的には、「I was born to love you」が、クイーンの曲としてクレジットされているのが不満である。あれはもともと、フレディのソロだったはずであり、曲の展開がまさにフレディ節である。そうはいってもメンバーがそれでいいと言ったんだろうから、しょうがないけど。
正直、フレディ的な感覚というのは、個人的にはtoo muchだった。やはりクイーンはブライアンのギターと、ロジャーのハードロックセンスがあってこそだったと思うんだけど。まあ、そういうこともみんな込みにして、映画が大成功しているのは良かったと思うが。
「クイーン」であった。
同年夏の小学校の「修学旅行」のあたりから、クラスメイトの何人かから(多くは兄貴や姉貴がいた連中)、「ベイ・シティ・ローラーズ」「クイーン」「キッス」「ビートルズ」等の名前が出るようになり、東京に戻った私は、ラジオの洋楽番組(例えば、文化放送で6時半から8時までやっていた「電リク’76」、8時からやっていた「土井まさるのポップスナンバーワン」、それから、ニッポン放送や文化放送のポップスベスト10)などで、その後貪欲に洋楽情報を吸収するようになった。それから40年を優に超えている。
そんな中、圧倒的に自分の感性に訴えかけてきたのが「クイーン」だった。当時ヒットしていたのは「マイ・ベスト・フレンド」。まずこの曲のメロディーに魅せられた。その後、クイーンのそれまでのさまざまなヒット曲を聴くことになるが、どれを取ってもいい曲ばかり。独特のコーラスワーク、これまた独特(当時は「独特」かどうかは判断がつかなかったが)のフレーズを醸し出す、ブライアンメイのギター、そして、その後のロック遍歴の中で、どんどん分からなくなったそのサウンドのカテゴライズ、言わば「ノンジャンル」(ハードロックでもない、グラムロック(デヴィッド・ボウイやTレックスというよりも、sweetやsladeのほうが引き合いに出されたのだろうが)の残渣と言われけなされたそうだが(当時もイギリスで「ションベン桶」と言われていたという話が聞こえていた)、そういうわけでもなし、プログレかと思うような曲もあれば、名盤「オペラ座の夜」の中にはボードビル調の曲やカントリー調の曲もあり、さらに「the prophit song」のような唯一無二の曲もあったり等。)、いや、「クイーン」という独自のジャンルを形成しているのではないかとすら思わせるようなサウンドであった(その後、明確にクイーンを踏襲しているフォロワーバンドはいないといっていいと思われる。)。
それでも、1977年暮れの「news of the world」までは、その独特の英国的なセンスが前面に出ていたが、次の「jazz」あたりから訳が分からなくなり、全米ナンバーワンヒットはアコースティックなロカビリー調の「the crazy little thing called love」、さらにその後ジョンディーコン作の大変苦手なディスコ曲「地獄へ道連れ」、さらに「フラッシュゴードン」、起死回生のシングル「one vision」。このころにはすっかりフレディは短髪ちょびひげの独特の風貌で、スタジアムロックの雄と化し、その地位が確立したものと思っていたが、その後フレディのソロ活動が「the great pretender」とか、ルキアーノ・パバロッティ(だったか)とのコラボ「バルセロナ」等、およそついて行けない領域に入っていく中、突然の新聞上での「世界の人々に真実を伝えるときが来た。私はエイズ。」との告知、そしてそれから1週間するかしないかのうちの死亡記事。その記事を見た次の瞬間に、私は「あの曲がかならずイギリスで1位になる」と思った。そして、数週間もしないうちにそれが現実に。「ボヘミアン・ラプソディ」。
そういうわけで、前振りが大変長くなった。クイーンについては、当初(70年代の時点)とても思い入れがあっただけに、「jazz」以降はどんどん自分の感覚から離れてしまっていくとの印象が拭えず、その最たる頃(85年)にあった来日公演は行きそびれてしまった。
そのクイーンの歩みがテーマになったというこの映画。11月から日本上映開始だというのに、1月になってもほぼ満員であった。なんでも、興収が100億円を越えるかもしれないというのである。あのETが、90億円ですごいと言われたのである。これはどういうことか?どんなにすごい映画なのか??
実際見てみて、正直これは、「音楽映画」でしょう、それなのになんでこんなにお客が日本ではいるの???というのが率直な感想だった。自分にとっては、その話の流れ・内容はほぼ80%以上は知っていることだったり、また感覚的に理解できるものであったし、映画中でかかる曲は他のバンドのものも含めてほぼ全て知っていた(だからこそ、「史実」とは違うなと思った部分もあったりもした。)。個人的にはとても楽しめたし、何度も涙腺が危なくなっていた。
しかし、この映画が、一般的なポピュラリティーを、この2019年の日本において得た、しかも、世代的に若い世代も含めて、というところが、本当に驚くべきことである(50代以上が盛り上がるのは分かるが、それだけではここまでの興収にはならないだろう)。
「ボヘミアン・ラプソディ」という楽曲そのものは、もちろん英国で出た当時も9週連続1位になったようなものであり、フレディが死んだときも私の予言通り1位に返り咲いてきた、まさに「これぞクイーン」という曲ではある。しかし、冷静に考えれば、3つくらいの曲からなる組曲(ミディアム部門、オペラ部門、ハードロック部門)であって、大げさであるのはもちろん、一言で言えば「変な曲」でもある。映画中でもレコード会社の上部の人間が「こんな長い曲はシングルヒットしない」と言っていたが、そう言われてもおかしくないような曲である(もちろん、長い曲でも大ヒット曲はたくさんある。hey jude」しかり、「hotel california」しかり)。こんな曲をタイトルに冠し、しかも全面基本的にクイーンの音楽遍歴(もちろんフレディの出自や性的指向、およびスーパースター故の孤独等が醸し出すドラマ仕立てもあるとはいえ)をたどっているこの映画が、大ヒットとは・・。なんというか、感慨深いというよりも、よく訳が分からない、というのが正直なところである。
クイーンは確かに日本での爆発が大きかったようだが、それでもここまで幅広い人気があったと言うことか?
それとも、時代を超えて普遍性を有する音楽を、このグループは作ることが出来ていたということなのか?
もし、ビートルズについて、同じような映画が今作られて上映されても、日本でここまでヒットするかどうか(そこそこはヒットするだろうが)。少なくとも、ローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンでは、そこまでには到底ならないだろう。
それにしても、ブライアン・メイ役はホントに似ていたな。ジョン・ディーコン役も、時々とんでもなく似ている表情を見せていた。もっとも、一番似てないフレディ役が、実はもっとも演技抄物だったと思うが(・・ゴールデングローブ賞の主演男優賞を取ったらしいが)。
どうでもいいが、個人的には、「I was born to love you」が、クイーンの曲としてクレジットされているのが不満である。あれはもともと、フレディのソロだったはずであり、曲の展開がまさにフレディ節である。そうはいってもメンバーがそれでいいと言ったんだろうから、しょうがないけど。
正直、フレディ的な感覚というのは、個人的にはtoo muchだった。やはりクイーンはブライアンのギターと、ロジャーのハードロックセンスがあってこそだったと思うんだけど。まあ、そういうこともみんな込みにして、映画が大成功しているのは良かったと思うが。
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