書き忘れていたのが・・・
・スライ&ザ・ファミリーストーン
「motor motor motorcycle HONDA!」
「I want to take you higher!!」
と、強烈なフレーズをたたみかけたこのバンドを、なんで忘れてたんだろ?
プリンスの大親分というべき、60年代末期のファンクの最先端、
80年代にちょっと復活という話も出ていたんだけれども、結局出てこなかった。
スライは、まだ死んでないと思うんだけど、どうしてるんだ?
・テン・イヤーズ・アフター
これも、ウッドストックではほんと、白眉の演奏。
アルヴィン・リーの、超絶早弾き。
「I'm going home」。
まあ、とにかく早弾きのみが見所なんだけれども、
これもまたすごくインパクトがあり、これだけでこのバンド、というかアルヴィン・リーが、50年は生き残った、という感じ。
その後はあまりヒット曲はなかったんだけど。
・ウッドストックの記録映画
40年前に見た映画ではなく、今年新たに作られた映画を、NHKBSでやってたので、録画して見た。
特に、後半の方は、見ていて胸が熱くなる感じだった。
サンタナに関しては、私の見立てと同じ感触を、この映画の編集者も感じたよう。
ジミヘンの、「スター・スタングルド・バナー」についても、
私は中2の時に衝撃を受けたが(そして、教室でほうきを持ってまねしてたが)、やはり当時の観客や取材陣も、そして、50年を経て編集しているスタッフも、同じように感じていたんだと。
それにしても、ジミヘンの前にポール・バタフィールド・ブルーズバンドがでていたとは、うーんほんとにすごいフェスだった。
フーで終わった二日目の明けのオープニングが、ジェファーソン・エアプレーンだったとは、もうおなかいっぱいだよ・・・。
音楽面ではもちろん、当時の時代のイメージを示したという意味では、
本当に,永遠に残るフェスなのだろう。
40万を超えると言われた観客が、3日間、一つのコミューンを作り、
大きな混乱もなく、3日間を終えた。
会場の地主である農場主のヤスガー氏は、40数年前の映画にも登場していたが、
この人も含めた地域の人々の協力も、特筆すべきものであった。
夢のような話。
当時、ベトナム戦争をやっていたわけで、そんななかで、こんなことができていたという奇跡。
米国については、その政権には複雑な感覚(特に今は)もあるが、
少なくとも、市民、若者が、何かあれば異議を申し立てることができる、
そのような素地がある、というのは、日本とは圧倒的に違うところだろう。
まあ、国の成り立ちがそういうこと、あるいみ人工的なところで、皆が了解している、というところが、日本と違うんだろうな。
日本はいったいどうなるのか・・・。
結局のところ、日本ってどんな国なのか・・。
文部科学大臣が、高校生の政治的な発言に、Twitterで「これは正当でしょうか」などとほざく、レベルの低い国で。
そんなら、参政権与えるなよ。東大卒くん。
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