アーチスト探訪その2~イエス③

1983年に出た、「90125」というタイトルのアルバム。

ジョン・アンダーソンが復帰したイエスの起死回生の作品。

その中から、なんと「OWNER OF A LONELY HEART」が、全米ナンバーワンのシングルヒットとなってしまった。

従前のプログレ路線とはちょっと違う、よりポップな路線ではあったが、いわゆる「産業ロック」というような水ぶくれのサウンドでもなく、比較的タイトな演奏(異論はあると思う・・結構モダン感が前に出ていて違和感もあったかも)。アルバムを通して聴く気までは起こらなかったが、まあ、悪くなかった。少なくとも「AZIA」よりは個人的にはよいと思った。

それにしても、アルバムならともかく、シングルが大ヒットには正直驚いたが、まあ、そんな売れ方をしてもおかしくない曲ではあった。セカンドシングルの「LEAVE IT」もスマッシュヒット。イエスは「復活」した。

「OWNER・・」は、日本でもそこそこヒットしたが、なんと中森明菜の「サザン・ウインド」で、リフをしっかり、わかりやすくパクってしまったりもしていた(当時はこういうパクりがホント多かった。シブがき隊「Zokkonn!命」(←NIGHT RANGER「DON'T TELL ME YOU LOVE ME」、河合奈保子「アンバランス」(←DONNA SUMMER「SHE WORKS HARD FOR THE MONEY」、沖田浩之「困ったラブソング」(←ABC「LOOK OF LOVE」等々)。それだけ当時、日本で洋楽が席巻していた証しでもあるのだけれど。


このアルバムで活躍した、トレバーラビンが、次第にグループの主導権を握り、次の「BIG GENERATOR」ではトレバー色が一層強まった(このアルバムは正直ほとんどきちんと聴いてない)。そんなになると、面白くなくなったのか、ジョン・アンダーソンが脱退、90年代初頭頃、往年の「FRAGILE~CLOSE TO THE EDGE」時代のメンバーが再結集しての「アンダーソン、ブラフォード、ウェイクマン&ハウ」(・・スクワイアだけいない・・)によるアルバム発表、残った「90125」イエスの方も別途活動、という感じで、その後さらに8人が結集して、「UNION」というアルバムで、過去のイエスサウンドに近い(と言うか過去の曲の感じがてんこ盛りされているような曲~I WOULD HAVE WAITED FOREVERてな曲)のを出してみたり、8人イエスでツアーをやり、「アンダーソンブラフォード・・」グループと「90125」グループが交代で登場したり等々、なんだかよくわからない状況になっていった。このあとも何枚かアルバムは出ているが、正直きちんと聞いていない(そうはいいつつ、1998年に来日した際は見に行っている。会場は川口リリア。ジョン・アンダーソン、スティーブ・ハウ、クリス・スクワイア、ビリー・シャーウッド、アラン・ホワイト、それからロシア人メンバーというメンツだったと思う。カルロス・ゴーン事件で名をはせた高野隆先生と、うちのかみさんと一緒に。)。


2015年だったか、クリス・スクワイアが死去し、多くのメンバーをつなぐちょうつがい的な存在がいなくなってしまった。また、ジョン・アンダーソンも一時、喉の病気か何かであまり表に出てきていなかったが、またここに来て活動をしているようで、一昨年あたりかもっと前か、なんと「海洋地形学の物語」全曲演奏という、ある意味マニアックなテーマで来日する等、相変わらず往年のファンを喜ばせるような活動を続けているよう。

しかし、こう言っては身も蓋もないが、やはりイエスは70年代が旬であったことは、これは否定できないよねえ。



ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

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