腹の立つことについて、きっちりいうことができない状況というのはしんどいものである。
諸事情を考えると、自分が我慢するのがいい、ということでスルーする。
しかし、釈然としない感覚が当然残る。
私たちは、自分の依頼者に対し、先方からの主張・攻撃等があった場合に、
「同じ土俵に乗ってやらないようにしましょう。」「冷静になりましょう。」
などと日常的に言っている。
実際にはこのことが大変しんどいことは、時に個人的にも感じるところ。
それでも、言わなければならないのだが。
いや、やはり自分のこととなると、大変だね。
不条理な話というのはいろいろなところに転がっており、
米国現大統領の如く(そこまで酷いのはないかも知れないが)、
一貫性のない対応、またいい加減な対応を目の当たりにしながらも、
それをスルーせざるを得ない、このことのストレスは本当に大きく、深い。
今年は本当にいろいろなことで、そのような場面が多い。
過去20数年でもっともそれが酷い年のようである。
もともと寝付きがよくないのだが、それが輪をかけて酷くなっている
(一昨年の秋あたりも酷かったのだが)。
ついつい、自分が一番大変なのではないか、他の人はずっと時間があるのではないか、
ずるしてるのではないか、受け控えしているのではないか(最近自分もそうなっている・・)などと思いがちになるが、いつでも、他者の努力や取り組みへの尊敬・敬意は失わないようにしたい。
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