今回の出来事は、ウクライナという国が地政学的に微妙な位置にある(欧米(orNATO)vsロシアという構図の中で・・少なくともロシアはこの構図を今回前提としている)ことを、改めて認識させることになった。
ロシアの「事実上の」独裁者(選挙で選ばれているはずなのだが、独裁者然と自己アピールを続け、「傀儡」をいったんは頭に掲げつつも結局自ら復帰し、政敵は容赦なく潰す、などなど、あらゆる策に長けている)は、今回の侵攻の大義名分を、かつて西側首脳よりNATOの東方拡大はないとの確約を受けていたとの点に置いている、などと言われている。
しかし、このような発想自体が、そもそも大国が他の国の意思決定を左右するという、往年の東西冷戦時代の発想であることは容易にわかるところである。NATOに入るのも、中華人民王朝の「一帯一路」構想に乗るのも、それぞれの国家の独自の意思決定によることは言うまでもないこと。上記のような「確約(口約束などと言われてもいるが)」などにかかわらず、各国がNATOへの加盟が自国に取り有利だと判断したから、また「一帯一路」構想に乗るのが有利だと判断したから(実は、ウクライナはまさにこれに乗っており、人民王朝はウクライナを同構想のポイントの国と位置づけていたそう)であろう。
議会議長や政府高官を集めて、その意見を質し、自分好みの回答がなければ詰め寄る、などというシーンをテレビ中継で敢えて演出し、ウクライナ国内のロシア民族の勢力に一方的に独立承認を与え(ジョージアでもかつて同じことをやっていた)、挙げ句の果てに強引に侵攻する、「東部に居住するロシア人に対するウクライナ政府のジェノサイドから住民を救うため」「反ナチのため」なのだという。
なんだか、1931~38年頃の中国東北部(満州)あたりでの「だいにほんていこく」「かんとうぐん」の仕業と同じものを、現在進行形で見させられているような感じである。
そして、侵攻の仕方も、30年前の湾岸戦争(このときはその前にイラクがクウェートに侵攻していたのではあるが)と同じ、まさに古典的な「戦争」である(そう。今回のような政権転覆というやり方は、かつて米国も常套手段として使っていた。やり方は様々だが、チリ然り、グレナダ然り。イラクも大きくくくればそういうことにはなる。)。
今回は、ことがヨーロッパに関わる(ヨーロッパに近接する地域で起きている・・いや、ヨーロッパ内部なのかも知れない)こともあり、世界各国(有力国と言っていいか)の動きが活発となっており、また報道も侵攻されている側の視線から多くなされている。SNSが発達した今とは必ずしも同レベルで比較できないが、湾岸戦争の際に、巻き添えになっている市民の側からの報道などなかったな、などと思わざるを得ない自分もいる。
しかし、今回の蛮行が早期についえてほしいと願うのは同じである。
願わくば、ロシア国内の人々の強い反対や、軍の内部での反目、軍の分裂・ウクライナの強烈な抵抗による士気の低下、と言う点だろうか(軍の内部の反目とかについては、かつて人民王朝の天安門事件とか、近くはミャンマーの暴力軍の件などでも期待したが結局そうはなっていないわけだが。)。
それにしても、最後まで戦うと宣言している大統領以下の悲壮な覚悟を目の当たりにして、非武装中立派(憲法9条絶対擁護派)はどのようにこれを受け止め、どのような言葉をかけることが出来るのであろうか。「武器の供給などしてはならない」「とにかく話し合いを!」と言い続けるしかないのだろうか。キエフに友人がいてもそのように声をかけるのであろうか・・。私自身の中にも、いつになっても整理が出来ないそのような部分が残っている。
なんとなく、今回のことは日本国内において、改憲への大きな動きをもたらす1つのきっかけになるのではないかと思えてならない。
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