自分がその雰囲気をまさに当事者的に感じながら過ごしていた時代の寵児ともいうべき人々が1人1人去って行くというのは本当に寂しい。
昨今のカルチャーに興味が持てないものが多すぎるから、余計そうなのかも知れない。
「教授」については、ソロアルバムを聴きまくったわけでもなく、その意味では熱心なファンであったわけではない。せいぜいYMOを通じてである。ただ、火曜日の夜のFMラジオ番組は時々聞いており、その独特のセンスを感じ取っていた。デヴィッドボウイが出演し、まだ無名であったピーターバラカン氏が通訳をした際のものは、どこかに録音テープが残っているのではないかと思う。
この10年くらいの活動や発言も、親近感を抱くものが多く(嫌な連中もいたのだろうが)、こんな時代だからこそ、そのような点でも大切な存在であったと思う。
炎上商法であったり、むき出しのひがみ根性があたかも正当であるかのように幅をきかせる時代であるからこそ。
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