政治部門等が大きく足を引っ張っているのだそうだ。
先般の統一地方選挙では、多くの女性市長の誕生とか(最近はこのこと自体にほぼ違和感はないだろう)、議会の過半数を女性議員が占めるところがいくつも出たなどあり、少しずつ変わってきてはいるのだろう。
結局のところこの問題は、議会を構成する議員らの資質によるのであろう。
特に国政。
私には、国政に携わるような人(議員さん)に知り合いはごくわずかしかいないが、恐らく多くの議員は知り合いになどなりようもない人種なのだろうと想像している。
言い換えれば、これまでの人生の中で、およそ交わるようなことのなかった人種の人々が、相当含まれているのではないかと。
市町村のレベルであっても、どこ市とはいわないがかなり大きな市の市長と同じ会合でたまたま同席した際、本当に傲慢そうな態度で閉口したことがあった。
個人的に関わった事件でも、そのようなお方がおられた。
最近、千葉県の方のどこぞの町の町議会議長が、議会から2度辞職勧告を受けながらも、なお辞任しない、と頑張っているというニュースを見た。
「やりのこしたことがある」のだそう。
「支持者の支持があるから」というようなニュアンスであった。
伝えられているような状況で、私にはとても、そのような言葉は吐けない。
私とは根本的に異なるし、交わることのない人物なのであろう。
政治家には、このような人種・人物が相当程度含まれていることは確か。
そして、そのようなことが、表記のジェンダーギャップの問題を始め、この国の意思形成のゆがみをもたらしていると思えてならない。
でも、こんな人物たちを、主権者は選んでいる。
何期も続けて。
この国がこんなやつらで構成されているわけでは必ずしもないのだけれども、
ある意味、「あの人は政治家向きだから」「まあ、任せとけばいいかな」等々として。
結局のところ、有権者たる国民(人民)の質が反映されている、ということなのだろう。
若干話がずれてしまった。
ジェンダーギャップの問題は、「猿山問題」等他にもいろいろ背景があると思うが、結局のところ政治家になる人間の資質の問題に行き着くように思えてならない。
そして、それをある意味「利用」している主権者の方々の存在も。
選ぶ対象がいないのだからしょうがない、でもそれで投票しないでいるのはもっと問題、という見方も当然あろう。それなら自分で立候補すればいいのじゃ、と。
それはそうかもしれないね。
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