外国に出向けば、やはりいろいろと日本と違うところが目に映る。
今回の「雑感」的な余事記載。
① たばこ
私たちが幼いころは、家の中でたばこを吸うことについて、特に後ろめたさを持っている大人はいなかったと思う。
それどころか、道での歩きたばこ~ポイ捨て、駅のホームどころか、電車内ですら、たばこを吸うことにさほど違和感はなかったと思われる(さすがにラッシュ時はないだろうが、中長距離の列車の車両には、栓抜きとともに灰皿がついているのが通常であった。このような列車に乗ると、長年染みついたたばこのにおいがしたものだった。)。
バルカン半島諸国では、そもそも電車・列車自体があまり走っていない(トラムですら、サラエボ(ベオグラードも?)くらいしかなかった。)ので、電車内はわからないが、とにかく店でも路上でも、男女を問わずたばこを吸う人が多かった印象。それゆえポイ捨ても多かった。それ故の空気の汚染等も多いのかも知れないが、何せそれ以上に車の数が半端ではなく(特にアルバニア)、大気汚染はけっこう酷いのではないかと思った。
② 野良犬
私の幼いころも、自分の住環境の範囲には、野良犬というものはあまりいなかったと思う。日本でも昭和20~30年代くらいまではいたようであるが、犬の鑑札制度が徹底したのか、狂犬病注射等も徹底されたのか、そもそも野良犬、というものがどのように生息しているのかも肌身で感じたことはなかった。
バルカン半島では、結構野良犬を見かけた。とりわけコソボの首都プリシュティナには多かった。かなり大きめの犬が町中をうろついたり、また路上で寝ていたりする。耳に何かつけている犬が大半なので、一定の管理はされているようだが、それなりの迫力がある。サラエボでも、飼い犬を散歩している人たちが野良犬につきまとわれ、飼い犬を連れて走って逃げ、それを野良犬が全速力で追いかけるという光景に出会った。
プリシュティナでは私たちも、途中からゴールデンレトリバーぽい外観の野良犬に気に入られたのか、街中を歩き回っているときにずっとおともされた。何を求めるわけでもないが、とにかくずっとついてくるのである。そのうちもう1匹増えたりもした。荒廃した教会の建物のそばには、10匹程度の野良犬が集結しており、私どものお供をしている犬はそれらの犬に追い立てられていた(我々が危害を加えられることはなかった。)。地元の人にはついて回っていないところを見ると、野良犬は観光客を見定める能力を有しているようであった。荒廃していない教会に入り、展望塔に上がる等して30分くらい費やしたところ、おとも犬はいなくなっていた。
③ 川・ゴミ
どこの国もゴミ問題は深刻のようであった。
ゴミ収集場にある大きなゴミ箱は、たぶん分別とか担っているのだろうと思うが(いくつかあったので)、全くそれにお構いなく、山のように,あふれるようにゴミが積まれていた。たまに回収に来た様子も見たことがあったが、どこの国でもとにかくゴミ箱は満タンであった。
そして、川が汚い。何でも流し、何でも捨てているようであった。川沿いの公園みたいなところもあったが、なにせ汚くて(においまではわからなかったが)、こんなところでレジャーなんて出来るのだろうか、などと思った(周りの環境は、木が生い茂ったりして自然な感じなのだが。)。
しかし、我々が幼いころの、東京多摩地区の川も、本当に惨憺たるものであった。きれいな川が家の近くにあるなどと言うことを考えたことはなかった。青梅の方に行くと泳げる川があったようだが、そんなもの全く考えられなかった。汚水流し邦題だったと思う。そんな状況でも子どもたちは川に降りて、石から石へととんでわたり、またギンバエが飛び回り、ドブのようなにおいの中で石を掘り起こしてみたりしていた。汚いなんて特に思わなかった。たくましかったのかも。
④ 男性の髪型
私は、同世代の中では比較的長髪の方だと思うが、日本では、髪型は(職業にもよるが)比較的自由で、特にこういう髪型が大半だ、などということはないように思う(特に若い人たちは)。
しかし、バルカン半島は違う。
私のような髪型は皆無。みんながジョコビッチ、要するに短髪である。良く注意してみていたが、自分と同じような髪型はほぼいない。特に働き盛りの世代は、皆ジョコビッチである。比較的面長の人が多く、頬骨も立っていないので、短髪だとすっきりとするのかもしれないが、それにしても、こんなにも皆同じだと、いったい自分はどのように見られているだろう、などと考えてしまった。そういえば気のせいかも知れないが、床屋も多かったように思う(パーマ屋はあまり見かけなかった。)。女性に関して言うと、特にボスニア・ヘルツェゴビナは、やはりスカーフを巻いた人が多かった。ただ、パキスタンやサウジのように顔を隠している人はほとんど見かけなかった。
⑤ 日本人
本当にいなかった。面と向かって話をした人は1人だけ(マケドニアで同じバスに乗り合わせた人。途中で降りていった。バックパッカー的に回っているようだった。)。他に見かけたのは、行きに立ち寄ったワルシャワの街中(ここはショパン博物館があったりもするので、そこそこ日本人はいたりする)と、帰りのドーハ空港の日本行きの便を待つ搭乗口くらい。
でも、バルカン半島の皆さん、日本人に対する対応は優しい人ばかりだったと思う。皆が大変フレンドリーに対してくれた。日本で元日に起きた地震を慮ってくれた人もいた。娘が大の日本アニメ好きだと言って、いろいろと話してくれた人もいた。日本語はもちろん英語も全然わからない中、スマホの翻訳ソフトでなんとかコミュニケーションを取ってくれようとしたパン屋の娘さんもいた。
この先徐々に、日本が衰退し、日本がどこなのか,そのような国が本当にあるのか、中国の一部なのではないか、そんなの知らない、という人が出てくる恐れもあるが、日本アニメや映画等のサブカルが、なんとかこれをフォローしてくれ続けるのだろう。また、実は国際舞台での日本の立ち位置というのも、このように接してもらえる1つの重要な要素なのかも知れない。
0コメント