新型コロナ問題以降、いろいろな会議がリモートで行われるようになった。
接続の問題、アプリへの対応の問題等の技術的な面もあるが、やはり本質的に、会議というものが直接対面した形ではなく行われることへのさまざまな問題意識が見え隠れしてきているように思われる。
リモート会議が隆盛となったのは、感染症対策の件は置くとして、やはり利便性、そしてコスパであろう。裁判所の手続にせよ、また弁護士会の委員会や弁護団会議等の会合にせよ、移動時間が節約され、またアクセスする場所も必ずしも限定されない(これについては、内容に関する秘密保持面からの問題があったりするのだが、ここでは触れない)といった利点がある。我々の仕事は結構移動時間がバカにならないところがあるので、この点は大変大きい。他方でこれまでよりもいっそう、机に座ったままの時間が増えた(=確実に運動不足になっている)という問題もあるが。
しかし他方で、リモートの問題点というのは、やはり会議、議論の質の問題にもかかわってくる部分はあるのだろうと思う。リモート会議では、発言者が発言しているときは通常1人であり(まあ、直接対面の会議であっても本来はそうではあるのだが)、良くも悪くも不規則発言はしにくい。その意味で大変議論が整理されやすい面はあるのだが、他方でごちゃごちゃと話している中で議論が練り上げられてゆく、という形はやはり取りにくい。会議の合間、また終了後のちょっとしたオフタイムでのやり取りが、新たな議論の発展に繋がるようなこともないとは言えない。このような会議の、言わば「遊びの部分」というものが、リモート会議ではやりにくいのかな、などとは思う(リモート会議に熟達すれば、チャット機能とかをうまく使って、そのような部分をカバーできるのかもしれないが。)。
また、リモート参加の人が、ついつい傍観者、傍聴者的な存在になってしまいがちなところもあるのかも知れない。このあたりは個々の参加者の意識の問題という感じもするが、例えば初めてその会議に参加した人が、リモート参加だったような場合には、何となく発言の機を逸してしまい、沈黙のまま終わると言うこともあるのかも知れない。まあこの点は議長やまとめ役となる人が適切に振るなどという方法でカバーできるのかもしれないが。また、リモート会議で画面オフの人ばかりだったりすると、会議を主催している側からはやはりちょっと不安な感覚はあるのだろうとも思う(これについては、日常的にどちらの立場にも立つことがあるのだが、ついオフにしたいときがあるのも事実ではある・・)。
さらに、何かの組織体における会議と言うことになると、リモートばかりでやっていてオフ会的なものが無かったりすると、いつになっても人間関係が構築されないという面もあるようにも思われる。リモート会議ばかりのやりとりで人間関係が希薄となり、信頼関係が醸成されないどころか、むしろ失われ、また破壊された例も個人的には経験している。
ワークライフバランスとか、多様な仕事の仕方、生活スタイルの尊重等といった大きな流れの中で、リモート会議は今後さらに拡がってゆくであろう。リモート会議が原則形態となる中で、紡ぎ出される議論や、構築されるネットワークというもののあり方が変わってゆくのか。それがデフォルトになってしまえば、それはそれでそういうものだ、ということで落ち着くのかもしれないが、本当にそれでよいのか。少なくとも、その過渡期を日々経験している私たちは、そのことに常に問題意識を持ちながら、会議のあり方を考えてゆきたいと思う。
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