以前にも書いたけれども、私はボブディランの熱心なファンではない。
名盤とされる70年前後以降のアルバムを聞き込んだことはないし、持ってもいない。
まして80年代以降のものは一部を除いてはほとんど聞いていない。
昨年来日公演に行ったけれども、そのマニアックな選曲もあったが、ほとんどなんだかよくわからないままに終わってしまった。
しかし、洋楽を聴き始める前から、その存在は、例えば「学生街の喫茶店」という曲の歌詞に出てきたり、また聞き始めてからもビートルズとの関わり等で出てきたり等、常に大変大きな存在として頭の上の方に回っていた。
ノーベル文学賞まで取ってしまったが、それもさもありなんと思えてしまうような存在。
そういうわけで、そのディランのデビュー前後から初期にかけての活動に関わる映画ができたということで、今回もまた、一度挨拶しないといけないと思い、鑑賞を試みた。
もう日本公開が始まってから一月くらい経ったせいなのか。どこでもやっているというような上映の仕方ではなく(TOHOシネマの映画館なのだが)、また連日やっているわけでもなく、またやっても早朝とか深夜のような枠ばかりで、なかなか手頃なところが見つからなかった。
何とか午前9時半から上映という錦糸町の館へ。
錦糸公園の向こう側にできたショッピングモールの中にある、シネコンの一部での上映。なので、ポケモンとかなんとか子どもたちが押し寄せるような映画も隣でやっているような場所。お客さんはそこそこ入っていたが、当然ながら平均年齢は高い(若い人もいるにはいたが)。リアルタイムと思われるような方々(後期高齢者等)もおられた。
そして、映画。
正直、来て良かったと思った。かなり良い映画であった。
なにぶん、主役の俳優が、ディランに面構えのみならず、話し方も歌い方等もまんまという感じで、全く違和感なく入って行けた、というよりも、まさにディラン本人の話として自然に話の流れに乗ることができた。
冒頭で舞踏病(だったか)に罹患していたウディ・ガスリーの入院先を訪ね、見舞に来ていたピート・シガーと二人に、自分がウディに向けて作った曲を演奏する(訪ねたことは実話だそうだが、さすがに歌ったかはわからないよう)シーンがとても印象的。まだレコードデビューする前の状態から、彼のすごさを認めたマネージャー、国会図書館で古いフォークなどを発掘して録音するという取り組みをしていた人物、その後しばらく生活を共にする女性、小さなライブハウスでの演奏に感銘を受けて、その後深い関係となるジョーン・バエズ、やはり憧れの人であったが、ディランが次へ進もうとするときにこれを強くサポートしたジョニー・キャッシュ、キューバ危機を背景にした社会不安の中で、「戦争の親玉」「BLOWIN' IN THE WIND(風に吹かれて)」などの楽曲をものにし、「FREE WHEELING」でブレイク、その後も「ミスター・タンブリン・マン」「時代は変わる」「ALL I REALLY WANNA DO」等々矢継ぎ早に出し、「風に吹かれて」ばかり歌わされるのをよしとせず、同じ場所にとどまることなく新たな境地を切り開いて行く、そして映画の最後は、アル・クーパーやポール・バタフィールド・ブルース・バンドをバックに、ニューポート・フォーク・フェスティバル(65年か?)にエレキバンドでぶちかまし、非難囂々あびながら(このあたりは他の場所でのエピソードも織り込まれている。観客から「ユダ!」と罵られたのはこの時ではなくイギリス公演だとのこと)も「くそ野郎!」と言い放って、爆音の「LIKE A ROLLING STONE」、立ち去ろうとしたのを止められ、「一曲だけ」とアコギを渡されて歌った、「IT'S ALL OVER NOW , BABY BLUE」・・。伝統的なフォークフェスへのこだわりからディランの行動に困惑するものの、どこかでディランを見切らずに、さらに見守っていこうという感じのピート・シガー・・。
いやあ、正直随所で感動する場面があった。涙が出てくるような場面がいくつもあった。
よい映画であった。長めだったが、時間の過ぎるのを忘れる感じであった。次はどうなるのか、どうなるのか・・といった感じで、時間が過ぎていった。
随所に出てきた、フォーク・ブルースのような演奏をする黒人ミュージシャン(ディランのファーストアルバムはカバー曲ばかりだが、それもフォークと言うよりもブルース色が強いという印象がある)とか、ギターを弾きたかったのにもう間に合ってると言われ、「しかたなく」キーボード担当で「LIKE A・・」の途中のテイクから参加し、例の音をぶちかましたアル・クーパー、またものが飛んでくるステージで弾きまくるマイク・ブルームフィールド、「音を下げろ!」などと叫ぶピートや、フォーク・フェスの純粋性を保とうとする、キンクスを騒音などと抜かしやがる「保守勢力」の面々(その中の一人がバンス副大統領に似過ぎていて笑った。まさか映画作成時点で時事ネタで含めたんじゃないだろうが。)、小ネタや見所も多かった。
それにしても、今回わかったのは、ディランは本当に多くの良曲を作っているということ。あれも、これも、という感じで、その点もさらに感動を高める方向へ働いた。
ぜひまたどこかで見に行きたい。
この映画、ディラン自身は見てるのだろうか?
それから、全然関係ないんだけれど、「世界に一つだけの花」という曲の曲調は、実は初期のディランぽかった?
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