米国のタリフマンについて、多くの人々が人格障害者(自己愛性パーソナリティ障害)であるとみているようだが、臨床的には彼はそこには当てはまらないそうである。人格障害者であるとの診断の前提として重要なのは、当人の行動が、臨床的に見て著しい苦痛や障害を当人にもたらす、という点なのだそうだ。もし、この点を外すと、多くの政治家や有名人が、これに当てはまることになってしまう、タリフマンについては、多くの他者に苦痛を及ぼしているが、本人がこれに苦しんでいるという形跡は見られない、と言うことなのだそうだ。これは、DSM-Ⅲ(今はⅥまで出ているか)の「自己愛性パーソナリティ障害」の診断基準を執筆した専門家によるコメントである。
ただ、これはあくまでも、タリフマンが「自己愛性パーソナリティ障害」という精神疾患に罹患しているかどうかの話であり、この点を除けば、タリフマンが「自己愛性・・」者の最たるものであることは、(彼を師と仰ぐ信者達を除いては)衆目の一致するところであろう(前記専門家もその点については同意している。)。同専門家が指摘するとおり、多くの政治家や有名人にはその傾向があり、とりわけ古今東西の独裁者は、その権化とも言うべき存在ばかりなのであろう。
パーソナリティ障害のため、苦しんでいると思われる人に仕事上も出会うことは少なくない。少なくとも、こちらが何らかのフォローを求められる場合、その人にとって少しでもよい形は何なのか、そして、それにつなげる手段としてどのようなことが考えられるか、利益考量の中でベストとは言えなくても、少しでもベターな方向性を見いだし、これを提示し、そしてその実現のために調整して行くのが私たちの仕事なのだろうと思っている。もちろん、その障害の故に対応に困難を来すこともあるが。
しかし、人格障害者が上に立つような形で、ひたすらこちらが翻弄されるというのはやってられない。それが独裁者でなくとも、「プチ」という感じの輩はそこらここらにいる。事件の相手方であれば仕方がないが、そうでなくてそのような人物というのは本当に高ストレスである。同業者にもわずかながらいて、なるべく関わりたくないのだが、何らかの事情で関わって、まさかという対応をされ、非常に嫌な思いをしたこともある。このような輩に対しては、「人格障害なのだろうから、苦しいのだろうな。同情します。」などと思う余地はない。
もともと、この業種自体が、特定のなんらかの能力を持ちながら社会的に不適合な人物を相当程度吸収してきているものであるから、そのような人物は多くて当たり前の部分がある(完全に自分を棚に上げるが)。もっとも、当初私がこの業界に入ったころ、そのような警戒心の元に周囲を見回していたが、確かにそのような人物もいたものの、思ったほどではないと認識していたことも事実であった。ロースクールが発足して以降は、良くも悪くもそのような「変人」は相対的に少なくなっているのかもしれない。
そして他方で、この業界に限らず世の中至る所に、君臨する人格障害者(プチ独裁者)が存在するということも、年を追うごとにわかってくることになる。もちろん、扱う仕事が基本的に紛争性があるものだから、そういった人格・人物が関わる余地は多いのだけれど、それにしても、まあよくこんなんで生活して行けるな、生きて行けるな、どうやったらこんなふうになるのだろうか?と思わされる人物も、結構そこら中にいる(自分のことは棚に上げて)。DVモラハラ家族などはその典型であろう。
先天的なもの(脳の異常も含めて)、生まれ落ちてからの生育環境によるもの、年を経るにあたってのさまざまな経験等より築かれてしまったもの等いろいろあるのだろうが(後ろに行くにしたがって「障害」の度合いは低くなるのだろう。「人格形成責任」か?)、そのことでもっぱら自分が苦しんでいるというのであれば同情するものの、周りに害悪や負担・苦痛を振りまくばかりという人物については、本当に何とかならないものかと正直思う。自身が原因で多くの敵を作る(政治的・信条的な立場によるのであればともかく、より感情的なレベルで)、このような人物については、いつか報いが来てほしい、などと常日頃から思うところである。当面一番報いが500%で返ってほしいのは、与太者=タリフマンなんだけど。
報いはこっちに来てしまったりして。
0コメント