春の予兆なのか、このところ関東地方での降雪予報が出ることが増えてきている。
1月の中旬だったか、この地方としては珍しい大雪が降ったことがあったが、天気予報はこれを予測しきれず、交通機関にかなり影響が出た。
2月に入ってからか、今度は相当程度の降雪ありとの予報があり、これを踏まえてJRなどがあらかじめ運転本数を始発から間引いたところ、ほんのお湿り程度しか降らず、これまた交通が混乱した。
その後も、予報はあるが降らない、というようなことが何度か続いており、これについて、気象庁等への風当たりが強いようだ。
先日は、記録的な得票数で当選したばかりの某作家知事が、「今度外したら(気象庁に)責任を問います」などとコメントしたとか。
以前は「台湾坊主」などと呼ばれた、この時期に発生し東進する南岸低気圧。これが関東地方等太平洋側に降雪をもたらすのだが、この予測はつくづく難しいものだと思う。
上空の寒気の入り方、南岸低気圧の進路(八丈島の北を通るか否か等々)、低気圧の発達の状況、付近の気圧配置による風の吹き方等々、微妙なところで降雪か否か、あるいはその程度が左右される。
気象庁や気象協会、その他予報会社には、是非ともめげることなく予報を続けてほしいと思う。
少し大げさめの予報を出すくらいのほうが望ましいのは、一昨年3月11日の件でも明らかである。
もちろん、いつも大げさに出し過ぎると、羊飼いの少年の妄言のように解釈されかねない部分もあるが、
予報はあくまでも予報なのだから、確定事項でないことは言うまでもない。
受け取った側がそれに基づき自分たちで判断するしかないのである。
最近の人間は、自分の肌感覚よりいろいろなことを判断したり予測したりする能力が落ちてきていると思う。
情報があふれ、予測・憶測が飛び交う世の中であり、そのような中で情報を取捨選択し、自分で判断するというのは、実はそれなりに難しいことではある。
それでも、いつも一歩引いた形で、そのような態度を維持してゆきたいものである。
それから、昨今都道府県知事あたりの発言のレベルがずいぶん落ちているような気がする。
先出の発言も、一般受けを狙っているかの意図が見え見えである。
最近、日本海側の某県の知事が、一部の市で震災により出たがれきの処理を始めたことについて、(放射線の問題を踏まえたものとは思うが)「殺人行為」という言葉を使って批判していたが、その真意はともかく、表現としてはこれなども全く「品位に欠ける」ものと言わざるを得ない。
どうも、「暴走老人」「反動野郎」元都知事とか、ら抜き言葉を公式の場で連発するハシゲのような人物がもてはやされるようになってから、レベルの低下は顕著である。ものをはっきり言うことがもてはやされているようだが(そして、それが必要な場面があることは否定しないが)、なんというか、世の中全体が低レベル化しているとの感が否めない。
もともと、政治家とテレビタレントというのは、通底する部分があるのだとは思うが、それにしても、最近は出てくる知事がみなそんな感じである。
同じコメントをするのであっても、使う言葉を選ぶことはできないのか。そこまで語彙がないのか。作家だったりしても。
それから、「そこでそんなコメント必要か」ということも。「画面が汚い」といったH県知事さん、私はあのドラマ、結構ややっこしかったけれど、面白く見てましたがね。そもそも地元とはいえ、あなたがコメントするようなことでしたかね。
近所のハシゲにあおられたんですか?
この流れは、もう止められないのだろうか。
止められない流れにより規定されたレベルが、いずれ標準となってしまうのだろうか。
そうだとすれば、私にとっては本当に精神的にしんどい社会となってしまいそう。
少なくとも、公式の場での発言で「ら抜き言葉」は容認できませんね、私は。
保守派なのだろうけど。
1月の中旬だったか、この地方としては珍しい大雪が降ったことがあったが、天気予報はこれを予測しきれず、交通機関にかなり影響が出た。
2月に入ってからか、今度は相当程度の降雪ありとの予報があり、これを踏まえてJRなどがあらかじめ運転本数を始発から間引いたところ、ほんのお湿り程度しか降らず、これまた交通が混乱した。
その後も、予報はあるが降らない、というようなことが何度か続いており、これについて、気象庁等への風当たりが強いようだ。
先日は、記録的な得票数で当選したばかりの某作家知事が、「今度外したら(気象庁に)責任を問います」などとコメントしたとか。
以前は「台湾坊主」などと呼ばれた、この時期に発生し東進する南岸低気圧。これが関東地方等太平洋側に降雪をもたらすのだが、この予測はつくづく難しいものだと思う。
上空の寒気の入り方、南岸低気圧の進路(八丈島の北を通るか否か等々)、低気圧の発達の状況、付近の気圧配置による風の吹き方等々、微妙なところで降雪か否か、あるいはその程度が左右される。
気象庁や気象協会、その他予報会社には、是非ともめげることなく予報を続けてほしいと思う。
少し大げさめの予報を出すくらいのほうが望ましいのは、一昨年3月11日の件でも明らかである。
もちろん、いつも大げさに出し過ぎると、羊飼いの少年の妄言のように解釈されかねない部分もあるが、
予報はあくまでも予報なのだから、確定事項でないことは言うまでもない。
受け取った側がそれに基づき自分たちで判断するしかないのである。
最近の人間は、自分の肌感覚よりいろいろなことを判断したり予測したりする能力が落ちてきていると思う。
情報があふれ、予測・憶測が飛び交う世の中であり、そのような中で情報を取捨選択し、自分で判断するというのは、実はそれなりに難しいことではある。
それでも、いつも一歩引いた形で、そのような態度を維持してゆきたいものである。
それから、昨今都道府県知事あたりの発言のレベルがずいぶん落ちているような気がする。
先出の発言も、一般受けを狙っているかの意図が見え見えである。
最近、日本海側の某県の知事が、一部の市で震災により出たがれきの処理を始めたことについて、(放射線の問題を踏まえたものとは思うが)「殺人行為」という言葉を使って批判していたが、その真意はともかく、表現としてはこれなども全く「品位に欠ける」ものと言わざるを得ない。
どうも、「暴走老人」「反動野郎」元都知事とか、ら抜き言葉を公式の場で連発するハシゲのような人物がもてはやされるようになってから、レベルの低下は顕著である。ものをはっきり言うことがもてはやされているようだが(そして、それが必要な場面があることは否定しないが)、なんというか、世の中全体が低レベル化しているとの感が否めない。
もともと、政治家とテレビタレントというのは、通底する部分があるのだとは思うが、それにしても、最近は出てくる知事がみなそんな感じである。
同じコメントをするのであっても、使う言葉を選ぶことはできないのか。そこまで語彙がないのか。作家だったりしても。
それから、「そこでそんなコメント必要か」ということも。「画面が汚い」といったH県知事さん、私はあのドラマ、結構ややっこしかったけれど、面白く見てましたがね。そもそも地元とはいえ、あなたがコメントするようなことでしたかね。
近所のハシゲにあおられたんですか?
この流れは、もう止められないのだろうか。
止められない流れにより規定されたレベルが、いずれ標準となってしまうのだろうか。
そうだとすれば、私にとっては本当に精神的にしんどい社会となってしまいそう。
少なくとも、公式の場での発言で「ら抜き言葉」は容認できませんね、私は。
保守派なのだろうけど。
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