クリームの熱烈なファンだったわけではないけれども、
「カラフル・クリーム」を久々に聞いたら、ちょっといろいろ思い出した。
・昔、うちの実家の2階に住んでいた、福島・双葉町のおばさん(姉ちゃんと呼んでいた)といろいろ話をした時に、
「クリームって知ってる?」と話を振られ、ああ、好きだったんだと思った(小学校の頃。シングル盤を持っていた。)。
・「クリーム」と、「クイーン」を、当初ごっちゃにしており、
「ホワイト・ルーム」がクイーンの曲だと思い込んでいた(曲調が違うよ)。
・高校の先輩から聞いた話で、クリームの「N・S・U」は、「山寺の和尚さん」に曲調が似ていると。
♫やまでらの おしょさんは まりはつきたしまりはなし イェーイェーイェーイェー(ここでジャックブルースのベースが入る)
・どうでもいいが、1976年頃日本で大変人気のあったベイ・シティ・ローラーズから脱退した「イアン・ミッチェル」が
結成した「ロゼッタ・ストーン」のデビュー曲は、「サンシャイン(・オブ・ユア)・ラブ」だった。これは、個人的にクリームを知る前に聞いた。
・クラプトンがボーカルを取る「バッジ」という曲があるが、ご存じの方はご存じの通り、
ジョージハリスン作。クラプトンは、ジョージの曲を、「変な転調や半音ずつ下がるようなのが多くて・・」
と言うようなことを言っていたそうだ。
・1985年に代々木体育館で、大学の友人と初めてクラプトンのコンサートに行ったが、
その時、クリームの曲をやってくれて感動した(「ホワイト・ルーム」「バッジ」)。ホワイトルームの時は、
MCで「BACK IN 1967」とクラプトンがつぶやき、あのイントロがドワーンと始まった。感動。
コンサート後、当時出身高校の臨海学校の応援で行っていた館山へ、1人車で向かい(当時高速まだなし)、
着くや否やウイスキー生のまま駆けつけ三杯一気でその後沈没。翌日海に出る予定が宿舎(高校の校外施設。
砂汗混じりの畳敷き。)でひたすら伏していた。
・ジンジャー・ベイカー(75)は、「手数の多いドラマー」と言われており、それがクリームのサウンドバトルをエスカレートさせ、ひいては人間関係もエスカレートさせていた(のだと思う)。一番年長者なんだけどね。
数年前に買ったクリームのアンソロジーのようなDVDで、ジンジャーはなんだか半分ぼけ老人のように、「あいつはどうだ」「こいつはああだ」などと勝手なことを言いまくっていた。よくこんなものを商品化したなあ。
・クラプトンも、2人の間で大変だったんだろうね。やはり2年半くらいが潮時だったのだろう,クリームは。
・でもやはり、クリームは、ジャズ畑のジャック、ジンジャーと、ブルース/ロック畑のクラプトンが一緒になったことと、
時代状況とが相まって、かなりユニークなサウンドを奏でていたと思う。サイケデリック調の少し黄昏れた感じは、今聞いてもやはりグッドだ。インプロビゼーションプレイの応酬は、いつ聞いてもしびれる。
「カラフル・クリーム」を久々に聞いたら、ちょっといろいろ思い出した。
・昔、うちの実家の2階に住んでいた、福島・双葉町のおばさん(姉ちゃんと呼んでいた)といろいろ話をした時に、
「クリームって知ってる?」と話を振られ、ああ、好きだったんだと思った(小学校の頃。シングル盤を持っていた。)。
・「クリーム」と、「クイーン」を、当初ごっちゃにしており、
「ホワイト・ルーム」がクイーンの曲だと思い込んでいた(曲調が違うよ)。
・高校の先輩から聞いた話で、クリームの「N・S・U」は、「山寺の和尚さん」に曲調が似ていると。
♫やまでらの おしょさんは まりはつきたしまりはなし イェーイェーイェーイェー(ここでジャックブルースのベースが入る)
・どうでもいいが、1976年頃日本で大変人気のあったベイ・シティ・ローラーズから脱退した「イアン・ミッチェル」が
結成した「ロゼッタ・ストーン」のデビュー曲は、「サンシャイン(・オブ・ユア)・ラブ」だった。これは、個人的にクリームを知る前に聞いた。
・クラプトンがボーカルを取る「バッジ」という曲があるが、ご存じの方はご存じの通り、
ジョージハリスン作。クラプトンは、ジョージの曲を、「変な転調や半音ずつ下がるようなのが多くて・・」
と言うようなことを言っていたそうだ。
・1985年に代々木体育館で、大学の友人と初めてクラプトンのコンサートに行ったが、
その時、クリームの曲をやってくれて感動した(「ホワイト・ルーム」「バッジ」)。ホワイトルームの時は、
MCで「BACK IN 1967」とクラプトンがつぶやき、あのイントロがドワーンと始まった。感動。
コンサート後、当時出身高校の臨海学校の応援で行っていた館山へ、1人車で向かい(当時高速まだなし)、
着くや否やウイスキー生のまま駆けつけ三杯一気でその後沈没。翌日海に出る予定が宿舎(高校の校外施設。
砂汗混じりの畳敷き。)でひたすら伏していた。
・ジンジャー・ベイカー(75)は、「手数の多いドラマー」と言われており、それがクリームのサウンドバトルをエスカレートさせ、ひいては人間関係もエスカレートさせていた(のだと思う)。一番年長者なんだけどね。
数年前に買ったクリームのアンソロジーのようなDVDで、ジンジャーはなんだか半分ぼけ老人のように、「あいつはどうだ」「こいつはああだ」などと勝手なことを言いまくっていた。よくこんなものを商品化したなあ。
・クラプトンも、2人の間で大変だったんだろうね。やはり2年半くらいが潮時だったのだろう,クリームは。
・でもやはり、クリームは、ジャズ畑のジャック、ジンジャーと、ブルース/ロック畑のクラプトンが一緒になったことと、
時代状況とが相まって、かなりユニークなサウンドを奏でていたと思う。サイケデリック調の少し黄昏れた感じは、今聞いてもやはりグッドだ。インプロビゼーションプレイの応酬は、いつ聞いてもしびれる。
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