訃報・・アンディ・フレイザー死去だと

土曜日朝、いつも聞いているピーター・バラカン氏の「ウィークエンド・サンシャイン」。
NHK-FMでずいぶん前からやっている。

バラカン氏の番組は、80年代中期頃にテレビ東京でやっていた「ポッパーズMTV」あたりが最初の接点だが、その後FMでやっていたいくつかの番組をずっと聴いている。
かなり趣味に偏った部分、渋すぎる部分、ブラックミュージックやカントリーに偏りがちな部分もあるが、それでもいろいろなバンドとの接点を作ってくれている。ソフトマシーン然り、ロバート・ワイアット然り、フェアポート・コンベンション然り。

そんなバラカン氏の標記番組、昨日朝、布団の中で聴いていたら、いつもの「訃報」が。
だれだろう。

なんと、「アンディ・フレイザー」。

一昨年秋、渋谷でライブを見たばかり。レビューもしてるよ。

私は、この人が在籍していたFREEというバンドが非常に好きである。
1968年に、アレクシス・コーナーにバンド名を与えられてデビューしたFREE。私が、ロックボーカリストとしては最高ではないかと考える、(最近カバーの新譜も出した・・買ってしまった)ボーカルのポール・ロジャース、泣きのギターでお馴染み、夭折した山羊鬚のポール・コゾフ、「地道な縁の下の職人」とまさに形容すべき、このバンドの屋台骨をじっくり支えるサイモン・カーク(ポールロジャースといっしょにバドカンで来日してくれた。)。そして、アンディ・フレイザー。

デビュー時は全員が10代、アンディに至っては16才であったが、初っぱなから少年とは思えないような荒削りなブルースロックを奏で、セカンドでスタイルが確立、そしてサードアルバムから「オール・ライト・ナウ」の大ヒットを生んで、一挙にメジャーシーンに躍り出た。
当時のミュージックライフ紙を見ると、71年のFREE初来日公演が、当初さほどの話題ではなかったのに、口コミで大変な集客となったとの記事が記載されている。いったん解散後は、アンディの穴を日本人テツ・ヤマウチが埋め、1973年頃までイギリスを中心にヒットを連発していた。そのスタイルはブルースに根差したものだが、改めて聞くと独自のもの。ボーカル、ギター、ベース、ドラムスのシンプルな構成で、音をべたべたに厚く塗り込むことなど決してせず、まさに直球勝負、王道のブリティッシュ・ロックで、「音のすきま」の魅力も感じさせてくれるすばらしいバンドである。今でも、月に1回くらいは耳にしている。

その中でも、アンディのベースラインは、本当に天才としかいいようのない、ゾクゾク来るものであった。ロックシーンにおいて登場した数あるベーシストの中でも、本当に際立っている。何というか、さしずめ「歌うベースライン」「歩き回るベースライン」というところであろうか。攻撃的というのとは違うが、独特のアピールを感じさせるものであった。作曲能力も優れており、前述の「オール・ライト・ナウ」などは、楽屋でちゃちゃっと簡単に書いてしまったとのこと。だからこそ、ポール・ロジャースとの確執が生じ、第1期FREEは短命で終わってしまったのであるが。

まだ62才の若さであった。1年半前は全くみじんも感じられなかったが、ガンだったらしい。
この年齢なら、今後FREEのメンバー数名が集うこともあるのではないか、なんてこともほんの少し期待したのであるが、もう永遠に実現しないこととなった。
今から考えれば、一昨年思い立って見に行っておいてよかった。単に顔を見るだけであっても。「mr.big」もやってくれたしね。

バラカン氏の番組でかかった曲は、「song of yesterday」「mr.big」「all right now」の3曲。前の2曲はまさにアンディの魅力が存分に発揮されている名曲。
FREEのアルバムは、どのアルバムもなかなか良いが、やはり2枚目と3枚目が非常に良い。これらのアルバムを聴くと、この時代に生きていて、これらの音楽に出会えて本当に良かったとしみじみ思う。

ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

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