ぼくのたいせつなじまんのはこ(その1)

きょうもぼくは、ぼくのたいせつなじまんのはこをもっています。
ゆうべ、きちんとじゅうでんしました。

じゅうでんしないと、はこがつかえなくなり、ぼくもしんだもどうぜんとなってしまうのです。

このはこは、すごいんです。

でんわはもちろん、ぱそこんでできるけんさくもみんなできます。
てもとでちょっといろいろしらべたり、かんたんにできるんです。
これをもってると、すぐいろいろしらべられるので、
まるでじぶんがすでにいろいろしってるようなかんじがしてきます。
べつにいろんなことをおぼえなくても、このはこをいつももっていれば、そのばでしらべればいいから、
それでいいのかな、とおもいます。

だれかにそうだんされても、このはこでけんさくすればすぐにわかるから、
ぼくのあたまのなかには、いろんなことがはいってなくてもだいじょうぶです。

それから、このはこは、いろんなひととのこうりゅうもできる「あぷり」がはいってます。
そのあぷりは、にほんごでいうと、「せん」といういみのものです。
あさおきたら、すぐに「せん」でどんなやりとりをしているかをかくにんし、
ちょうしょくのとき、つうきんつうがくのとき、じゅぎょうちゅうきんむちゅう、ちゅうしょくじ、
きたくとちゅう、ともだちとあってるとき、ゆうしょくじ、にゅうよくじ、ねるちょくぜんまで、
いーーーーーっつもこのはこをかくにんしてます。

だって、じょしこうせいなんて、いちにち7じかん、このはこをかくにんしてるんですよ?
すごくね?
これはあくまでも「へいきん」です。
やってないひともいることをかんがえると、きっとへいきんちのやまは、10じかんくらいにきてるんだとおもいます。

この「せん」をちゃんとかくにんしてないと、
ともだちかんけいからはずされたり、
しゅうだんでいじめられたりするそうです。

でんしゃにのれば、しかいにはいるざせきにすわっているひとのなかから、50さいいじょうのひとをのぞくと、
ほぼ10わりが、このはこをいじってます。
それも、ずっといじってます。

じむにいったって、40さいいかのひとのおおくは、このはこをいじってます。

めしくいにいったってそうです。

のみやでもそうですか?

ぼくのしりあいは、でんしゃのなかで、50さいみまんのひとのほぼ10わりが、このはこをいじってるのをみたさいに、
「さるの○○○○」あるいは、「○○○○をおぼえたさるのしゅうだん」といってました。

そんないいかた、ひどくありません?
ばかにしてるというよりも、じぶんがついてゆけないから、やけくそにそういってるだけでしょう。
かわいそうなひとです。

そのしりあいは、「きっと15ねんごには、おさるさんたちはあたらしい○○○○きぐをてにして、
それにむちゅうになってるよ。」といってます。

でも、ぼくもそれは、そうなのかもしれないな、とおもいます。

ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

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