この2つの言葉、似て非なるもの。
前者は、一般には実際に犯罪や他人の不法行為等によって被害を受けた人の抱くもの。
その程度はいろいろであるが、前提に、実際の被害を受けているという事実があるわけだから、
これを慰謝する、ないしフォローするというのは言うまでもなく重要。
弁護士の世界で、実は長年置き去りにされてきていた分野。ようやくここ10年ほどか、本格的に対応されるようになってきたのは。
後者。これは必ずしも実害を受けていることを前提としない。
というよりも、むしろ過大な思い込みから生じていることが多い。
それを、自分自身の中で抱いているだけならいいのだが、
往々にして、他者を巻き込む。
たとえば、ちょっと自分に向けられた内容や表現を、自分への攻撃ととらえ、
反撃したりネグレクトしたり等の反応を見せる。
もしそれが、何らかの精神的な疾患を明らかに抱えてしまっている人によるのなら、
それは如何ともし難いと思うが、
そのような背景が(とりあえずは)なく、
日常生活・社会生活を送っているような人にたびたびこのような対応をされると、
ほんとうにめんどくさい。
何かの発言を極端に自分に対する攻撃と取る、
異なる意見をぶつけ合っているに過ぎないのに、それを自分に対する攻撃と取る、
等々。
めんどくさい。
また、その人が一定の年齢に達してしまっている場合は、よりめんどくさい。
その人に対し、「そのような大人げないことはやめたらどう?」などと言ってくれる人はもはや皆無だから、
その人は、そのままずっとすすんでいくわけで、
あとは、重病にでもなって衰えてくれることでもない限り、
周囲はこれに付き合って行かなければならない。
付き合わないですめば(距離を置いていられれば)、一番いいわけだが、
例えば会社等の組織や、何らかの団体・集まり等の場合、
そんな個人的なめんどくささだけの理由では、抜けられない場合も少なくないわけで、
ホント苦痛であるし、めんどくさい。
そういう人は、意外と、自分がどう思われているのか等に、それなりに敏感であったりするよう。
そんならやめるようにすれば、と思うのだが、やめない。
「独善」「唯我独尊」等々いわれても仕方ないだろう。
やめないというより、やめられないのかもしれない。まあ、ある種の障害をかかえているのかもしれない。
だからといって、「障害があるからしかたないね」で片付けたくない。
そういう方は、徐々に衰えていってもらいたいなと思う。
(なお、個人的な見解だが、私は「障害」を「障がい」などと言い換えるメンタリティを持ち合わせていない。
そんなこと、何の本質的な解決にもならないであろうし、何より生理的に耐えられない。
「障がい」と言い換えて自分はまともな感覚とでもどこかで思っている人がいれば、残念な人だと思う。
生理的に耐えられないという点では、君が代の一斉斉唱と私の中では同レベルの問題。)
もちろん、上記は具体的に誰かを念頭に置いているわけではないので、念のため。
あくまでも「雑感」だからね。
ただ、そのような人には、何らかの報いがあってほしいなどと、ついつい思ってしまう。
本当に意地の悪い性格だと思います。
前者は、一般には実際に犯罪や他人の不法行為等によって被害を受けた人の抱くもの。
その程度はいろいろであるが、前提に、実際の被害を受けているという事実があるわけだから、
これを慰謝する、ないしフォローするというのは言うまでもなく重要。
弁護士の世界で、実は長年置き去りにされてきていた分野。ようやくここ10年ほどか、本格的に対応されるようになってきたのは。
後者。これは必ずしも実害を受けていることを前提としない。
というよりも、むしろ過大な思い込みから生じていることが多い。
それを、自分自身の中で抱いているだけならいいのだが、
往々にして、他者を巻き込む。
たとえば、ちょっと自分に向けられた内容や表現を、自分への攻撃ととらえ、
反撃したりネグレクトしたり等の反応を見せる。
もしそれが、何らかの精神的な疾患を明らかに抱えてしまっている人によるのなら、
それは如何ともし難いと思うが、
そのような背景が(とりあえずは)なく、
日常生活・社会生活を送っているような人にたびたびこのような対応をされると、
ほんとうにめんどくさい。
何かの発言を極端に自分に対する攻撃と取る、
異なる意見をぶつけ合っているに過ぎないのに、それを自分に対する攻撃と取る、
等々。
めんどくさい。
また、その人が一定の年齢に達してしまっている場合は、よりめんどくさい。
その人に対し、「そのような大人げないことはやめたらどう?」などと言ってくれる人はもはや皆無だから、
その人は、そのままずっとすすんでいくわけで、
あとは、重病にでもなって衰えてくれることでもない限り、
周囲はこれに付き合って行かなければならない。
付き合わないですめば(距離を置いていられれば)、一番いいわけだが、
例えば会社等の組織や、何らかの団体・集まり等の場合、
そんな個人的なめんどくささだけの理由では、抜けられない場合も少なくないわけで、
ホント苦痛であるし、めんどくさい。
そういう人は、意外と、自分がどう思われているのか等に、それなりに敏感であったりするよう。
そんならやめるようにすれば、と思うのだが、やめない。
「独善」「唯我独尊」等々いわれても仕方ないだろう。
やめないというより、やめられないのかもしれない。まあ、ある種の障害をかかえているのかもしれない。
だからといって、「障害があるからしかたないね」で片付けたくない。
そういう方は、徐々に衰えていってもらいたいなと思う。
(なお、個人的な見解だが、私は「障害」を「障がい」などと言い換えるメンタリティを持ち合わせていない。
そんなこと、何の本質的な解決にもならないであろうし、何より生理的に耐えられない。
「障がい」と言い換えて自分はまともな感覚とでもどこかで思っている人がいれば、残念な人だと思う。
生理的に耐えられないという点では、君が代の一斉斉唱と私の中では同レベルの問題。)
もちろん、上記は具体的に誰かを念頭に置いているわけではないので、念のため。
あくまでも「雑感」だからね。
ただ、そのような人には、何らかの報いがあってほしいなどと、ついつい思ってしまう。
本当に意地の悪い性格だと思います。
0コメント