原発訴訟期日での雑感(謙虚さと言うこと)

本日、埼玉の原発訴訟の訴訟期日があった。
私の(途中から)担当した書面に関し、意見陳述というものをした。

期日及び次回以降の打ち合わせ終了後、他の事務所へ出向いて、支援者の方々への報告会。

この「報告会」というものは、一種独特の雰囲気があるが、
埼玉の場合、いつもたくさんの方に参集して頂いており、本当にありがたい、
というか、改めて訴訟への取り組みを襟を正してせねばならないなどと思い至らせる。

ところで、ごく一部の人なのだが、こういった会合でも上から目線で発言をする人がいる。
なんだか、自分が一番情報を持っているかのように、自分が一番本質を理解しているかのように発言する。
自分の発言内容に反する異論をまるで許さないかのように。
自分の発言内容に反すれば、そのことを強く指摘し、「分かってから発言しろ」などという。

私は、このような輩が本当にダメなんだ。
1人いるだけでも、本当に不愉快だ。

私はこういう輩を、「1人ファッショ」と呼んでいるのだが。

思えば、これまでの幾多の市民運動や住民運動等が、こういった輩のおかげでぶちこわされてきたのではないか
(具体的根拠を持って言っているのではないが)。
こういう輩のおかげで、人が集まらなくなっていったのではないか
(具体的根拠を持って言っているのではないが。)。
結局、こういう輩のせいで、運動はつぶされ、1党支配の永続に一役買っていたのではないか
(因果関係を立証できるわけではないが。)。
つまり、こういう輩は、1党支配の永続に一役買っていたという意味では、
旧社会党と同罪ではないのか
(旧社会党協会派系シンパに殺されるか?)?

こちらは、弁護団のメンバーであり、支援者の会のメンバーではないので、
もちろんその場でそんな指摘はしなかったが、
心の中で、「はやくだまれよじじい」なんて思ったりしてしまっていた。

だめだ。まだまだ子どもだ。いったいいくつなんだお前は。
(自分のことです。)。

こういう輩も、じつはこのように吠えなければ、自分自身の「存立危機」になってしまうのかも知れない。
しかし、正直なところ、私はあんたの存立危機など知ったこっちゃない。

ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

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