当事者と代理人

弁護士は、当事者の代理人として活動する。活動する際に、当事者の意向に沿って、当事者の利益のために最善を尽くそうとする、これはいうまでもなく当然のことである。

しかし、代理人はあくまでも代理人であり、当事者そのものではない。
当事者の意向に沿わんがばかりに、あたかも自分が当事者のように(否、当事者をしのぐほどに)激烈な表現で主張を述べたりすることは、望ましいこととは言えない。

少なくとも、弁護士の業界では、このことは「言わずもがな」「不文律」であったのではないかと思う(そう信じたい)。

激しい主張や表現をしたくなっても、いったんは書いてみるものの、何度も何度も読み直し、できる限り絞って最低限のことを述べようとする、夜書いた文章はつい筆が走ってしまうので、かならず翌朝見直す、等々、多くの弁護士にとり共通認識となっているであろう。感情的には、書きたい気持ちはやまやま、なんてこともあるが(人間だしね。)。

もっとも、自分自身、けっこう強めの表現で文章を書いた時期もあったような気がするし。
ただ、・・・まではさすがにやらなかったが。

この点を保っていかないと、やはり弁護士の仕事というのは、確実にダメになってしまうと思う。
弁護士が入ることで、かえって紛争がエスカレートしてしまい、適当な着地点を見いだせなくなってしまう、そんなことばかりでは、弁護士が入ること自体忌避されていってしまうだろう。弁護士という業種に対する信頼の失墜である。

実際、最近はこういった行きすぎた対応で、懲戒になるケースもちらほら見受けられるような気がする。
事件とは基本的に無関係の個所に、当事者のプライバシーが記載された文書を送りつけ、懲戒となったというケースも目にした。

当事者間でいかに激しい対立があろうと、少なくとも代理人間では一定の緊張関係を持ちつつも、紛争解決へ向けた信頼関係を保つ、そういうやりとりをしたいものである。

もっとも、こういった「当事者と同化」するようなタイプの弁護士は、東京のほうでは増えてきているという。
このような流れは、もはや食い止められないということなのだろうか。
数では東京にかなわないし、また若手にもかなわない。
増員の「ひずみ」をまず受ける東京から、こういった流れが膨らんでくるのか。

いつか、「弁護士が入ると紛争がこじれる」などといわれる時代が来て、その向こうには、弁護士自治の剥奪、なんてのがみえてくるのかも。
個人的には、弁護士が活躍すべき分野がまだまだあるが、人数が足りないと考えていたから、年間3000人レベルはどうかと思いつつ、少なくとも1000人を超え1500人程度の試験合格者が確保されるべきであろうとずっと考えてきたが、最近考えが揺らいできている・・?どうか?


まあ、あまりつっこまなさすぎの弁護士も、これはこれで困ったものだが。

ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

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