ディヴィド・ボウイを知ったのは、1977年頃。
折しも、「ベルリン三部作」シリーズがリリースされていた頃だが、こちらはまだ、そんなところには追いついていなかった。来日公演のライブもテレビで見たが、まだピンときてなかった。
最初に「新譜」としてラジオで聴いたアルバムが、1978年「ロジャー」。これが失敗だった。
ボウイのアルバムは、比較的実験的な部分が多いけれども(特に70年代は)、この「ロジャー」の実験性に、まだロック聞き始めの私はついて行くことができなかった。
今聞いても、このアルバムはちょっとハードル高いかな、と思う。悪いわけではないが。
そういうわけで、ボウイの歩みを・・
(1)1960年代
ご存じの方はご存じの通り、ボウイは当初、「デイビー・ジョーンズ」という芸名で活動していた。
60年代中期の頃は、「デイビー・ジョーンズ&ロウアー・サード」なんていうバンド名でやっていたようで、
このころの作品は、まとまったアルバムとしては公式には出てないようなのだが、まあ、フーとかヤードバーズあたりにかなりインスパイアされたような曲調であり、これはこれでかっこいい、当時としては先端のサウンドだったのだと思う。後に73年頃出た「ピンナップス」というアルバムを聴くと、このころのサウンドを彷彿させる演奏が聴かれる。
1966~7年頃のアルバム「ディヴィド・ボウイ」が、公式の最初のアルバム(だと思う)。
このアルバムは、比較的フォーク調のサウンドを基調にした、地味なアルバムではある。小品集といった感じ。セールス的にもそれほどではなかったと思うが、なんというか、ブレイク前夜のささやき、という感じがある、これはこれでいいアルバムである。きちんと再発されてからせいぜい15年くらいだろうか。
よく知られていることだが、「デイビー・ジョーンズ」という芸名が、あのモンキーズのメンバーのそれと同じだったために、芸名を「デイヴィッド・ボウイ」に変えることとなった。
それにしても、「デイドリーム・ビリーバー」は、セブンイレブンのCMで有名になったけれども、今やRCのオリジナルだと思われてるのかな。モンキーズじゃなくて。
1969年に、「スペース・オディティ」という曲がヒットした。この曲は、当時の宇宙飛行「ブーム」をモチーフにしたようなものだが、若干フォーク調で、かつ独特の広がりがある幻想的なサウンドで、私がボウイを知った一番最初の頃より好きな曲である。YouTubeで、この曲の古いプロモーションフィルムを見ることができる(ホント古い感じ)。
もっとも、この曲の入った同名のアルバムは、何度か聴いたが、なんとも印象にあまり残らないアルバムである。ぜんたいにやはりフォーク調、という感じ。
若干離れるが、この「スペース・オディティ」で宇宙飛行士だった「メイジャー・トム」、その後1983年頃、ドイツのピーター・シリングが、まさにそのまんま「メイジャー・トム」というタイトルのヒット曲を出した。やはりちょっとスペイシーな曲調で、個人的には好きであった。一発屋だったが。当時バンドを組んでいた奴がこのピーター・シリングのアルバムを買って、失敗したとさんざん言っていたな。俺も借りて聞いたけど、そこまで悪かったかな。当時っぽいサウンドだけど。
1970年、「世界を売った男」発表。数回前に来日関係で少し紹介した。プロデューサーはトニー・ヴィスコンティ。私はこのアルバムを大学2年の頃初めて聴いたのだが、1曲目の「円軌道の幅(the width of a circle)」に圧倒された。とにかくこのベースラインがかっこいい(ちょっと下手だが)。それにどこかくぐもったようなサウンド。この曲も含め、アルバム全体の基調は、フォーク風のところもあるが、基本的に当時のロック調。まだ「ジギー・・」「アラジン・・」以降のボウイの派手さ、きらびやかさはないのだが、全体に重い曲調が本当に自分の心にマッチした。ボウイの数あるアルバムの中では、それほど目立つ方ではないのだが、ホントにいいアルバム。ニルヴァーナがアコースティックセットのライブで取り上げたのもよく分かる。
それにしても、トニー・ヴィスコンティ来日公演で全曲やってくれたのは良かった。
1971年、「ハンキー・ドリー」発表。このアルバムもよりフォーク調で地味ではあるが、いい曲が目白押し。「チェンジ」「ライフ・オン・マース」(あの「マイ・ウェイ」の本歌?コード進行いっしょ。)のような定番、タイトなロック「クイックサンド」、少し実験的な「アンディ・ウォーホール」、ディランをモチーフにした曲、「クークス」「オー・ユー・プリティ・シング」等々、短めでいい曲が並んでいる。
ボウイは1972年以降、大ブレイクし、しかも変化を続ける。少なくとも80年代初頭までは。
続きは次回。
折しも、「ベルリン三部作」シリーズがリリースされていた頃だが、こちらはまだ、そんなところには追いついていなかった。来日公演のライブもテレビで見たが、まだピンときてなかった。
最初に「新譜」としてラジオで聴いたアルバムが、1978年「ロジャー」。これが失敗だった。
ボウイのアルバムは、比較的実験的な部分が多いけれども(特に70年代は)、この「ロジャー」の実験性に、まだロック聞き始めの私はついて行くことができなかった。
今聞いても、このアルバムはちょっとハードル高いかな、と思う。悪いわけではないが。
そういうわけで、ボウイの歩みを・・
(1)1960年代
ご存じの方はご存じの通り、ボウイは当初、「デイビー・ジョーンズ」という芸名で活動していた。
60年代中期の頃は、「デイビー・ジョーンズ&ロウアー・サード」なんていうバンド名でやっていたようで、
このころの作品は、まとまったアルバムとしては公式には出てないようなのだが、まあ、フーとかヤードバーズあたりにかなりインスパイアされたような曲調であり、これはこれでかっこいい、当時としては先端のサウンドだったのだと思う。後に73年頃出た「ピンナップス」というアルバムを聴くと、このころのサウンドを彷彿させる演奏が聴かれる。
1966~7年頃のアルバム「ディヴィド・ボウイ」が、公式の最初のアルバム(だと思う)。
このアルバムは、比較的フォーク調のサウンドを基調にした、地味なアルバムではある。小品集といった感じ。セールス的にもそれほどではなかったと思うが、なんというか、ブレイク前夜のささやき、という感じがある、これはこれでいいアルバムである。きちんと再発されてからせいぜい15年くらいだろうか。
よく知られていることだが、「デイビー・ジョーンズ」という芸名が、あのモンキーズのメンバーのそれと同じだったために、芸名を「デイヴィッド・ボウイ」に変えることとなった。
それにしても、「デイドリーム・ビリーバー」は、セブンイレブンのCMで有名になったけれども、今やRCのオリジナルだと思われてるのかな。モンキーズじゃなくて。
1969年に、「スペース・オディティ」という曲がヒットした。この曲は、当時の宇宙飛行「ブーム」をモチーフにしたようなものだが、若干フォーク調で、かつ独特の広がりがある幻想的なサウンドで、私がボウイを知った一番最初の頃より好きな曲である。YouTubeで、この曲の古いプロモーションフィルムを見ることができる(ホント古い感じ)。
もっとも、この曲の入った同名のアルバムは、何度か聴いたが、なんとも印象にあまり残らないアルバムである。ぜんたいにやはりフォーク調、という感じ。
若干離れるが、この「スペース・オディティ」で宇宙飛行士だった「メイジャー・トム」、その後1983年頃、ドイツのピーター・シリングが、まさにそのまんま「メイジャー・トム」というタイトルのヒット曲を出した。やはりちょっとスペイシーな曲調で、個人的には好きであった。一発屋だったが。当時バンドを組んでいた奴がこのピーター・シリングのアルバムを買って、失敗したとさんざん言っていたな。俺も借りて聞いたけど、そこまで悪かったかな。当時っぽいサウンドだけど。
1970年、「世界を売った男」発表。数回前に来日関係で少し紹介した。プロデューサーはトニー・ヴィスコンティ。私はこのアルバムを大学2年の頃初めて聴いたのだが、1曲目の「円軌道の幅(the width of a circle)」に圧倒された。とにかくこのベースラインがかっこいい(ちょっと下手だが)。それにどこかくぐもったようなサウンド。この曲も含め、アルバム全体の基調は、フォーク風のところもあるが、基本的に当時のロック調。まだ「ジギー・・」「アラジン・・」以降のボウイの派手さ、きらびやかさはないのだが、全体に重い曲調が本当に自分の心にマッチした。ボウイの数あるアルバムの中では、それほど目立つ方ではないのだが、ホントにいいアルバム。ニルヴァーナがアコースティックセットのライブで取り上げたのもよく分かる。
それにしても、トニー・ヴィスコンティ来日公演で全曲やってくれたのは良かった。
1971年、「ハンキー・ドリー」発表。このアルバムもよりフォーク調で地味ではあるが、いい曲が目白押し。「チェンジ」「ライフ・オン・マース」(あの「マイ・ウェイ」の本歌?コード進行いっしょ。)のような定番、タイトなロック「クイックサンド」、少し実験的な「アンディ・ウォーホール」、ディランをモチーフにした曲、「クークス」「オー・ユー・プリティ・シング」等々、短めでいい曲が並んでいる。
ボウイは1972年以降、大ブレイクし、しかも変化を続ける。少なくとも80年代初頭までは。
続きは次回。
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