ジョージ・マーティン死去~ビートルズはこの人がいたから偉大になった

今年になってから、訃報が相次いでいる。

モーリス・ホワイトも亡くなってしまったが、忙しくてコメントもできない。

しかし、やはりこの人については、最低限のコメントをしたい。

ジョージ・マーティンである。90才だったそうだ。

言わずとしれた、ビートルズのプロデューサーだ。

ビートルズの幾多のすばらしい楽曲は、この人のプロデュースがあってこそ、永遠なものとして歴史に刻まれた。

パッと思い浮かぶのは、「イン・マイ・ライフ」の、あの間奏部分のピアノ演奏。

あれは、演奏を録音して倍速かなんかにしていると思うが、この間奏部分はジョージ・マーティンの作だったと思う。

その他、いろいろとあったと思うが、残念ながら「マニア」の域には達してないので、
これもあれも、という指摘はできない。
(ビートルズとストーンズ、ディランについては、膨大なマニアの潮流・蓄積があり、とてもかなうことはない。)
しかし、たくさんあったはず。

他の人の作品も、いろいろプロデュースしていると思うが、とにかくロック・ポップス史上において、欠かすことのできない人物だと思う。


話はそれるが、デヴィッド・ボウイの遺作は、傑作という予感がする。
すでに5,6回聞いたが、そんな予感がある。

何故「予感」なのか。

「傑作」かどうかは、数回聞いたくらいでは分からない。
1,2回聞いて、「これいいね」と思ったというレベルでは、「傑作」には達しないことが多い。
何度も何度も、少なくとも50回くらい聞いて、それでもすばらしい、という作品、
それは「傑作」である。

必ずしも万人受けするような作品ではないと思うが、
肌合いが、何というか、「無理なく」個人的には入ってくる類のものである。
言い換えると、「ここんところがきついけど、まあせっかくの作品だし・・」などと
作品に下駄を履かせてしまう感覚を抱く必要がない、そんな作品である。
(前作「ザ・ネクスト・デイ」は、そういうところがあったのだ。)
これは、後々個人的には「傑作」と言えることとなった作品について、
個人的に聞き込む過程の中で体得してきた感覚である。
「ジギー・スターダスト」とか、「ヒーローズ」のようなアルバムと、
同じレベルになるかも。そうなったら嬉しいことだ。

何だかわかりにくいけど。あくまでも個人的な話で。

ボウイの数々の作品へのコメントも、なんとか続編を書きたい。


取りあえず、今日は「ジョージ・マーティン」である。
特にビートルズ初期から中期においての貢献が大きいのだろうな。

それにしても、これから何年もの間、多くのロック史に残る偉大な人々と、
別れを告げなければならなくなるのだろう。

そもそも、「ロック史」というものが、
100年後にもまだ残っているのだろうか。
「ジャズ史」は、100年はなんとか持ちこたえそうだが。

ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

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