小学生の時に流行った「私は泣いています」のリリィが亡くなった。最近でもドラマ等でよく見かけていたが、
たぶんガンなのだろうな。声の感じからして。
同じ新聞の隣の記事に、レナード・コーエンの訃報が載っていた。
リリィは64才なのに対し、レナード・コーエンは83才(だったか)。それでも、もっと長生きして活躍してほしいという方も多かっただろう。
私はあまりこの人のことはよく知らないけれど、一番有名な(と思われるアルバム)である、「ソングス・フロム・ア・ルーム」は持っていたような気がする。しみじみ聞くのに良い渋い歌声。AORの草分けなんて言ったらすごく怒られると思うが、でも後々にAORと言われた人々には、ボズ・スキャッグスが入ってたりするわけだし、必ずしも当たらずといえども遠からずなのかもしれない。AORといってしまうと、なんとなくファッションとして消費されてしまう印象があるんだけど。レナード・コーエンは、むしろ吟遊詩人という感じか。ドノヴァンともちがうけど。
「ハレルヤ」という曲が有名。ジェフ・バックレーもやってた(とかいってもこの人のことも知らない人が多いか)。
というわけで、カナダ出身のミュージシャンについて少し触れたい。節操なくね。
・ジョニ・ミッチェル
数年前に脳出血で倒れ、今はミュージシャンとしての活動をしていないこの人は、「both sides now(青春の光と影)」とか、「woodstock」といった曲の作者としてもお馴染み。特に後者は、あのウッドストック・ロックフェスティバルのテーマ曲のような扱いで、CSN&Yが歌って一躍有名になった(マシューズ・サザン・コンフォートもやってたな。)。ソロでも「BLUE」「COURT AND SPARK」「HEJIRA」等々名作がいくつもある。「HELP ME」という74年のトップ10ヒットは(前にも書いたかもプリンスの時とかに)、個人的には70年代のすべてのトップ10ヒットの中でも5本の指に入る名曲だと思っている。それから「HEJIRA」でのジャコ・パストリアスの演奏もすばらしい。ロックやポップスのみならず、ジャコのようなジャズミュージシャンとも交流を深めて、独自の音世界を構築していた。来日公演は1度しかないらしいが、一度でもいいから見たかった(今からでもチャンスはないのかな)。
・ニール・ヤング
この人についてはちょっと数行では書き切れないか。でも遅れてきたファンなのでコアなファンではないのだけど。まだまだ頑張ってほしい。また今度書く。
・ラバーボーイ
別にバンドとして好きだとかそういうのはないが、81年ころにヒットした「WORKING FOR THE WEEKEND」という曲はとても良かった。仕事も終えて週末だあ!ていうような雰囲気ががんがん出ている曲。この1曲だけでこのグループはいい(けっこう)と思う。
・GUESS WHO~BTO(バックマン・ターナー・オーバードライブ)
前者は、70年のヒット曲「AMERICAN WOMAN」が、アメリカンハードロックの創生期の感じでとても良い(全米2位かな)。後者は、まあ典型的なアメリカン・ロックのグループなんだけど(だからそんなに得意でないんだけど)、74年に全米№1になった「YOU AIN'T SEEN NOTHING YET(恋のめまい)」という曲が、何故か分からないが昔からとても好きで、印象に残っている。
・ラッシュ
このバンドを最初に聞いたときは、とても衝撃であった。YESのジョン・アンダーソンを彷彿させるようなボーカルに、3人組なのに馬鹿テクのベース、キーボード、ドラムスでの圧巻な演奏。とりわけ79年の「PERMANENT WAVES」、80年の「MOVING PICTURES」の2枚のアルバムがすごかった。7拍子/8拍子の変拍子を駆使したプログレというかハードロックというか、独自のサウンド。このバンドの曲が夜中にFENで流れると、思わず背筋にずんと寒気が走った。この瞬間が幸せ、という感じであった。「SPIRIT OF RADIO」「FREE WILL」「TOM SOYER」「TWILIGHT」といった一連の曲である。これに続いた83年の「SIGNALS」(「NEW WORLD MAN」が最大のヒットとなった。)それから「GRACE UNDER PRESSURE」といったアルバムはリアルタイムで聴いたが、徐々に、産業ロックとは言わないけれど、聴きやすいサウンド、ないし当時のポリスあたりに接近するような音に変わっていって、個人的にはポリスはとても好きなバンドではあったのだけれど、ちょっとこういうラッシュの音は求めているのとは違うな、などと思ったりして徐々に離れたところがあった。もっとも、このバンド、その後も路線をさほど変えずに未だに活動していると言うからすごい。日本での人気はさっぱりだったが(84年頃の1度だけの来日公演は見に行きました。)、独自のサウンドで特筆すべきバンドだと思う。
・ハート
あとで思い出したので追加。
このバンド、80年代中盤以降は、なんだか音が厚くなり大げさになってしまって、典型的な産業ロックになってしまったけれども(同時期に同じような動きをしたバンドとして、「(ジェファーソン)スターシップ」がいる。)、74年頃のデビューから80年代初頭までは、割とタイトなアメリカン・ハードロックをやっていた。ツェッペリンあたりもルーツにしていると思うが、たとえば75年のヒット曲「マジック・マン」とか、78年頃の「バラクーダ」の次あたりに出た「ハートレス」とかは、本当にメリハリのきいたかっこいいハードロックサウンドで、今聞いてもわくわくする。うーん産業ロックうざったい。産業ロックイヤーズを越えて、また原点回帰したのだと思うが、こういうバンドはライブでも大ヒットした産業ロックイヤーズの曲をやらなきゃならないんだろうから、見に行くことはしたくないのである。
他にもいたかも知れないけどど忘れ。バラエティに富んだカナダのミュージシャン。あ、ポールアンカとかもそうだった。
たぶんガンなのだろうな。声の感じからして。
同じ新聞の隣の記事に、レナード・コーエンの訃報が載っていた。
リリィは64才なのに対し、レナード・コーエンは83才(だったか)。それでも、もっと長生きして活躍してほしいという方も多かっただろう。
私はあまりこの人のことはよく知らないけれど、一番有名な(と思われるアルバム)である、「ソングス・フロム・ア・ルーム」は持っていたような気がする。しみじみ聞くのに良い渋い歌声。AORの草分けなんて言ったらすごく怒られると思うが、でも後々にAORと言われた人々には、ボズ・スキャッグスが入ってたりするわけだし、必ずしも当たらずといえども遠からずなのかもしれない。AORといってしまうと、なんとなくファッションとして消費されてしまう印象があるんだけど。レナード・コーエンは、むしろ吟遊詩人という感じか。ドノヴァンともちがうけど。
「ハレルヤ」という曲が有名。ジェフ・バックレーもやってた(とかいってもこの人のことも知らない人が多いか)。
というわけで、カナダ出身のミュージシャンについて少し触れたい。節操なくね。
・ジョニ・ミッチェル
数年前に脳出血で倒れ、今はミュージシャンとしての活動をしていないこの人は、「both sides now(青春の光と影)」とか、「woodstock」といった曲の作者としてもお馴染み。特に後者は、あのウッドストック・ロックフェスティバルのテーマ曲のような扱いで、CSN&Yが歌って一躍有名になった(マシューズ・サザン・コンフォートもやってたな。)。ソロでも「BLUE」「COURT AND SPARK」「HEJIRA」等々名作がいくつもある。「HELP ME」という74年のトップ10ヒットは(前にも書いたかもプリンスの時とかに)、個人的には70年代のすべてのトップ10ヒットの中でも5本の指に入る名曲だと思っている。それから「HEJIRA」でのジャコ・パストリアスの演奏もすばらしい。ロックやポップスのみならず、ジャコのようなジャズミュージシャンとも交流を深めて、独自の音世界を構築していた。来日公演は1度しかないらしいが、一度でもいいから見たかった(今からでもチャンスはないのかな)。
・ニール・ヤング
この人についてはちょっと数行では書き切れないか。でも遅れてきたファンなのでコアなファンではないのだけど。まだまだ頑張ってほしい。また今度書く。
・ラバーボーイ
別にバンドとして好きだとかそういうのはないが、81年ころにヒットした「WORKING FOR THE WEEKEND」という曲はとても良かった。仕事も終えて週末だあ!ていうような雰囲気ががんがん出ている曲。この1曲だけでこのグループはいい(けっこう)と思う。
・GUESS WHO~BTO(バックマン・ターナー・オーバードライブ)
前者は、70年のヒット曲「AMERICAN WOMAN」が、アメリカンハードロックの創生期の感じでとても良い(全米2位かな)。後者は、まあ典型的なアメリカン・ロックのグループなんだけど(だからそんなに得意でないんだけど)、74年に全米№1になった「YOU AIN'T SEEN NOTHING YET(恋のめまい)」という曲が、何故か分からないが昔からとても好きで、印象に残っている。
・ラッシュ
このバンドを最初に聞いたときは、とても衝撃であった。YESのジョン・アンダーソンを彷彿させるようなボーカルに、3人組なのに馬鹿テクのベース、キーボード、ドラムスでの圧巻な演奏。とりわけ79年の「PERMANENT WAVES」、80年の「MOVING PICTURES」の2枚のアルバムがすごかった。7拍子/8拍子の変拍子を駆使したプログレというかハードロックというか、独自のサウンド。このバンドの曲が夜中にFENで流れると、思わず背筋にずんと寒気が走った。この瞬間が幸せ、という感じであった。「SPIRIT OF RADIO」「FREE WILL」「TOM SOYER」「TWILIGHT」といった一連の曲である。これに続いた83年の「SIGNALS」(「NEW WORLD MAN」が最大のヒットとなった。)それから「GRACE UNDER PRESSURE」といったアルバムはリアルタイムで聴いたが、徐々に、産業ロックとは言わないけれど、聴きやすいサウンド、ないし当時のポリスあたりに接近するような音に変わっていって、個人的にはポリスはとても好きなバンドではあったのだけれど、ちょっとこういうラッシュの音は求めているのとは違うな、などと思ったりして徐々に離れたところがあった。もっとも、このバンド、その後も路線をさほど変えずに未だに活動していると言うからすごい。日本での人気はさっぱりだったが(84年頃の1度だけの来日公演は見に行きました。)、独自のサウンドで特筆すべきバンドだと思う。
・ハート
あとで思い出したので追加。
このバンド、80年代中盤以降は、なんだか音が厚くなり大げさになってしまって、典型的な産業ロックになってしまったけれども(同時期に同じような動きをしたバンドとして、「(ジェファーソン)スターシップ」がいる。)、74年頃のデビューから80年代初頭までは、割とタイトなアメリカン・ハードロックをやっていた。ツェッペリンあたりもルーツにしていると思うが、たとえば75年のヒット曲「マジック・マン」とか、78年頃の「バラクーダ」の次あたりに出た「ハートレス」とかは、本当にメリハリのきいたかっこいいハードロックサウンドで、今聞いてもわくわくする。うーん産業ロックうざったい。産業ロックイヤーズを越えて、また原点回帰したのだと思うが、こういうバンドはライブでも大ヒットした産業ロックイヤーズの曲をやらなきゃならないんだろうから、見に行くことはしたくないのである。
他にもいたかも知れないけどど忘れ。バラエティに富んだカナダのミュージシャン。あ、ポールアンカとかもそうだった。
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