80年代のブリティッシュ・(ロック)シーンは、ダンスミュージック系でもいろいろといたと思うが、まあ、個人的にはものによったかな、というところ。
・シンプリー・レッド
もともとはパンクロックのファンだったらしいミック・ハックネルをボーカルに擁し、大ヒットを連発していた。ファーストアルバムからの「moneys too tight to mention」とか、「come to my aide」とか、トーキング・ヘッズの「heaven」もカバーしておりよかった。2枚目も結構よかったね。彼の歌のうまさがやはり絶品だったと思う。ただ、個人的には、「if you don't know me by now」(だっけか?ハロルドメルビン&ブルーノーツの曲)で歌い上げてたのは嫌いだったな。ジャーニーのスティーブ・ペリーみたいで。もっとも、これに通ずる「holding back the years」は、当時の自分たちのこともなぜか思い出させる名曲と思う。
・クリスチャンズ
これは、スマッシュヒットを少し打っていたという感じで、有名ではないと思うが、「forgotten town」「born again」等の曲が結構個人的には好きだったし、今聞いても良い。
・ファイン・ヤング・カンニバルス
「you drive me crazy」という曲がのちに全米で1位になってしまったこともあったが、元スペシャルズ、じゃなくてビート(これもイギリスのスカバンド。アメリカに同名のバンドがいたので「english beat」と言っていた)のメンバーが、ローランド・ギフトの癖っぽいボーカルを支えていた。
・ケイン・ギャング
このバンドは、よく知らないし、黒人が入っているのかも知らないが、ソウルフルな「closest thing to heaven」という名曲が英国でスマッシュヒットしている。
・ヤ・ズー
ディペッシュ・モードを抜けたヴィンス・クラークが、白人女性歌手のアリソン・モイエと組んだグループ。「don't go」とか、西友で今でも時々かかる「only you」というヒット曲もあるが、某歌謡曲にもイントロがぱくられた「nobody's diary」もしみじみ良い曲だった。アリソン・モイエはソロでも大ヒットを打っていたが、その後どうなったんだろうな。ついでにいえば、カルチャー・クラブの「in the church of poison mind」で、ボーイ・ジョージと共演していたヘレン・テリーはどこへ行ったんだ?
・ブロンスキー・ビート~コミュナーズ
ゲイを公言していたジミー・ソマービルをボーカルとした独特の世界観を持ったバンド。ファルセットボイスがなんとも言えず個性的だった。かなり政治的なメッセージも強く発していたと思う。コミュナーズになってから、ドナ・サマーの、私が中学時代にとても嫌いだった「I feel love」をやって、これはそこそこいいな、と思っていたら、セルマ・ヒューストンの「don't leave me this way」という全米ナンバーワンヒット(良い曲)もカバーし、これがまさにはまっていた。原曲よりも良かったかも。
・キュリオシティ・キルド・ザ・キャット
あまり印象にないなあ。バンド名はなんとなく覚えているが。
・マリリオン
日本ではさっぱりだったが、もろジェネシス・フォロワー。ボーカルのフィッシュ(アメリカのバンドではない)が、ピーター・ガブリエルの雰囲気そっくり。「incommunicade」という、ジェネシスもろじゃね?というヒット曲があった。まあまあよかったけどね。
・カジャ・グーグー
デュラン・デュランとかの系統で出てきた、まあ「ニュー・ロマンティック」と言われた流れのバンドかな。「君はトゥーシャイ」という、アイドルバンド的だけど影響はボウイでしょう、というような曲をヒットさせ、ボーカルのリマールはその後脱退して、映画「ネバー・エンディングストーリー」のテーマをヒットさせた。バンドもボーカル(ニック・ベックスだったか)を替えて「ビッグ・アップル」とかヒットを出していた。まあ、当時は結構悪くないな、とか思っていたが、今になってアルバムで聞く感じでもないかな。
・キュア
このバンドは、まあ「聞かず嫌い・・嫌いでもないか」だったかな。日本でもそこそこ人気があったと思う。ロバート・スミスの大きな顔で病的な歌を歌うサウンドがなんとも言えなかった。アルバムで通して聞いた感じではなかった。なんとなくまとめて聞く機会がなかった感じ。しかし、このバンドが80年代末以降アメリカで大ブレイクし、トップ3に入るシングルヒットを出したのには、ディペッシュ・モードのブレイクと同様驚いたが。
・ジャパン
ここで取り上げるのはちょっと違うかも知れないが、82年に解散だから、80年代にかかっている。
もともと、78年頃に、Tレックスあたりの影響下のバンドといった風情で登場。2枚のアルバムを出した。バンド名もあり、また風貌もグラムロック的だったこともあって、日本でまず結構人気が出た(この2枚のアルバムも結構悪くない。デヴィッド・シルヴィアンは嫌いなようだが)。その後「quiet life」から路線がだんだんと内省的な方向に変わり、それに伴いファン層も変わり、また評価も変わっていった。イギリスのチャートにも顔を出すようになってくる。次の「gentleman take poraroide」(綴り自信ない。邦題が「孤独な影」)、そして「tin drum」で、まさに独自の境地に至り、解散。ライブ「oil on campus」は英日でヒットした。その後はデビッドを始め各人がソロ活動(ミック・カーンは死んでしまったが)。
日本から売れたといわれるバンドはいくつかあるが、このバンドが日本から売れたというのは、バンド名のこともあったけれども、誇っていいと思う。80年代初頭のイギリスの優れたロックバンドとして、今後も銘記されるであろう。
それから、デヴィッド・シルヴィアンのソロ活動も特筆すべきもの。とりわけ91年に出した「secret of the beehive」というアルバムは白眉である。その後彼はどんどん内省的、極北方向へ進んでしまい、その極地にいる頃に人見講堂でみたライブ(なんと元ジャパンで弟のスティーブ・ジャンセンも出たのだ)は、不覚にも途中で寝てしまったが。
そろそろ新譜を出してほしい。
・シンプリー・レッド
もともとはパンクロックのファンだったらしいミック・ハックネルをボーカルに擁し、大ヒットを連発していた。ファーストアルバムからの「moneys too tight to mention」とか、「come to my aide」とか、トーキング・ヘッズの「heaven」もカバーしておりよかった。2枚目も結構よかったね。彼の歌のうまさがやはり絶品だったと思う。ただ、個人的には、「if you don't know me by now」(だっけか?ハロルドメルビン&ブルーノーツの曲)で歌い上げてたのは嫌いだったな。ジャーニーのスティーブ・ペリーみたいで。もっとも、これに通ずる「holding back the years」は、当時の自分たちのこともなぜか思い出させる名曲と思う。
・クリスチャンズ
これは、スマッシュヒットを少し打っていたという感じで、有名ではないと思うが、「forgotten town」「born again」等の曲が結構個人的には好きだったし、今聞いても良い。
・ファイン・ヤング・カンニバルス
「you drive me crazy」という曲がのちに全米で1位になってしまったこともあったが、元スペシャルズ、じゃなくてビート(これもイギリスのスカバンド。アメリカに同名のバンドがいたので「english beat」と言っていた)のメンバーが、ローランド・ギフトの癖っぽいボーカルを支えていた。
・ケイン・ギャング
このバンドは、よく知らないし、黒人が入っているのかも知らないが、ソウルフルな「closest thing to heaven」という名曲が英国でスマッシュヒットしている。
・ヤ・ズー
ディペッシュ・モードを抜けたヴィンス・クラークが、白人女性歌手のアリソン・モイエと組んだグループ。「don't go」とか、西友で今でも時々かかる「only you」というヒット曲もあるが、某歌謡曲にもイントロがぱくられた「nobody's diary」もしみじみ良い曲だった。アリソン・モイエはソロでも大ヒットを打っていたが、その後どうなったんだろうな。ついでにいえば、カルチャー・クラブの「in the church of poison mind」で、ボーイ・ジョージと共演していたヘレン・テリーはどこへ行ったんだ?
・ブロンスキー・ビート~コミュナーズ
ゲイを公言していたジミー・ソマービルをボーカルとした独特の世界観を持ったバンド。ファルセットボイスがなんとも言えず個性的だった。かなり政治的なメッセージも強く発していたと思う。コミュナーズになってから、ドナ・サマーの、私が中学時代にとても嫌いだった「I feel love」をやって、これはそこそこいいな、と思っていたら、セルマ・ヒューストンの「don't leave me this way」という全米ナンバーワンヒット(良い曲)もカバーし、これがまさにはまっていた。原曲よりも良かったかも。
・キュリオシティ・キルド・ザ・キャット
あまり印象にないなあ。バンド名はなんとなく覚えているが。
・マリリオン
日本ではさっぱりだったが、もろジェネシス・フォロワー。ボーカルのフィッシュ(アメリカのバンドではない)が、ピーター・ガブリエルの雰囲気そっくり。「incommunicade」という、ジェネシスもろじゃね?というヒット曲があった。まあまあよかったけどね。
・カジャ・グーグー
デュラン・デュランとかの系統で出てきた、まあ「ニュー・ロマンティック」と言われた流れのバンドかな。「君はトゥーシャイ」という、アイドルバンド的だけど影響はボウイでしょう、というような曲をヒットさせ、ボーカルのリマールはその後脱退して、映画「ネバー・エンディングストーリー」のテーマをヒットさせた。バンドもボーカル(ニック・ベックスだったか)を替えて「ビッグ・アップル」とかヒットを出していた。まあ、当時は結構悪くないな、とか思っていたが、今になってアルバムで聞く感じでもないかな。
・キュア
このバンドは、まあ「聞かず嫌い・・嫌いでもないか」だったかな。日本でもそこそこ人気があったと思う。ロバート・スミスの大きな顔で病的な歌を歌うサウンドがなんとも言えなかった。アルバムで通して聞いた感じではなかった。なんとなくまとめて聞く機会がなかった感じ。しかし、このバンドが80年代末以降アメリカで大ブレイクし、トップ3に入るシングルヒットを出したのには、ディペッシュ・モードのブレイクと同様驚いたが。
・ジャパン
ここで取り上げるのはちょっと違うかも知れないが、82年に解散だから、80年代にかかっている。
もともと、78年頃に、Tレックスあたりの影響下のバンドといった風情で登場。2枚のアルバムを出した。バンド名もあり、また風貌もグラムロック的だったこともあって、日本でまず結構人気が出た(この2枚のアルバムも結構悪くない。デヴィッド・シルヴィアンは嫌いなようだが)。その後「quiet life」から路線がだんだんと内省的な方向に変わり、それに伴いファン層も変わり、また評価も変わっていった。イギリスのチャートにも顔を出すようになってくる。次の「gentleman take poraroide」(綴り自信ない。邦題が「孤独な影」)、そして「tin drum」で、まさに独自の境地に至り、解散。ライブ「oil on campus」は英日でヒットした。その後はデビッドを始め各人がソロ活動(ミック・カーンは死んでしまったが)。
日本から売れたといわれるバンドはいくつかあるが、このバンドが日本から売れたというのは、バンド名のこともあったけれども、誇っていいと思う。80年代初頭のイギリスの優れたロックバンドとして、今後も銘記されるであろう。
それから、デヴィッド・シルヴィアンのソロ活動も特筆すべきもの。とりわけ91年に出した「secret of the beehive」というアルバムは白眉である。その後彼はどんどん内省的、極北方向へ進んでしまい、その極地にいる頃に人見講堂でみたライブ(なんと元ジャパンで弟のスティーブ・ジャンセンも出たのだ)は、不覚にも途中で寝てしまったが。
そろそろ新譜を出してほしい。
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