ぼくのたいせつなじまんのはこ(その3)

ひさびさにまんいんでんしゃにのったが、
あいかわらずみんなしたむいて、じぶんの「じまんのはこ」にみいってるなー。

昔、結構ヒットチャート番組を聴くのが好きで、小学校の頃は日本の、小6以降は洋楽のいくつものチャートを聞いてはそれをノートに毎週書いていた。
それが嵩じて、また既存のチャートの内容に飽き足らず、というわけでか、自分独自のチャートをあるときから作り出した。そこには、実在するバンドやミュージシャンのほかに、自分で作り出したバンドやミュージシャンまでが登場し、それを毎週作成し続けていた。そのうち、その作業が嵩じて、1日の多くの時間がそのことに費やされるようになった。そんなことを、高校、そして大学に入ってからも続けていた。「こんなのがいつまでつづくんだろう」「これに割いている時間はどれだけなんだ」「ここから抜け出せないものか・・」などと頭のどこかで思いながらも、やめられず、ひたすら続けてしまっていた。
ひょんなことから、この「毎週のルーティンワーク」は、ある時さくっと終了し、その後は全然やる気も起きなくなった。
このことで、どれだけの無駄な時間を費やしたのか、あの時間があれば、どれだけ本が読めたんだろう、とか、もう少し英語の勉強でもできたんじゃないか、などと思ったりすることもないではないが(そもそも大学に入る直前のメンタルの不調で、「勉強」といっても胸が苦しくなるような状況もあったといえばあったので、仕方なかったのかもしれないが)、あれは、ある意味立派な「依存症」だったのではないかと思う。

ところで、冒頭に書いた「じまんのはこ」に没頭する人々(多くは30代以下のワカモノ)。
LINE等もあるのだろうけど、少なからぬ人々が没頭しているのが「ゲーム」。
これについては、もはやりっぱな産業のアイテムであり、またイノベーションが発揮される現場でもあり、侮れないものだと思ってはいる。また、たとえば将棋や囲碁、麻雀等とおなじような「知的な」アイテムなのだろうと(ものによっては)思ったりもする。

しかし、やはり考えるのだ。
ゲーマーは多分に依存症的な部分があるのだろうが、自制できるのだったら、もう少しなんとかできないのかね、などと。
全く大きなお世話なんだけども。

受ける相談の内容にも、配偶者がゲームばっかりやっている、という話が本当に多い。
おまえら、どんだけ時間を浪費してるんだ、と。
時間がない私に売ってほしい、その時間を。

ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

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