産経新聞って言うのは、論調が自分とは合わないけれども、それはそれとして、1つの意見として尊重すべき言論の社だと思っていたが、最近はなんだか、ほんとにせこい。
見出しだけしか見ていないが、なんかまたあの東京新聞のM記者のことを揶揄的に報じているようだ。
記者の質問の巧拙等でいえば、いくらでも例はあるのだろうに、わざわざこれを取り上げて、新聞の部数はないからネットで広げようなどと言う狡いやり方をしてる訳なのだろう。
ほんとうにちっぽけな「犬」である。そんなにチンゾウが好きなら、「日刊チンゾウ新聞」とでも改名すりゃ良いじゃないか。
チンゾウ政権は安泰なのに、こんな犬がいると、逆にチンゾウの価値を落とさないのかね?
まあでも、チンゾウもスガも、なんというかちっぽけなキャラっぽいから、仲間なら何でもいいのかな。
というわけで、気分が悪くなった方はごめんなさい。
でもしょうがないよ、ちっぽけはちっぽけなんだから。
それで、80年代ほかにあったか・・
・ポリス
いやーこれは大物過ぎるな。そもそもは77年デビューだから、ここで取り上げるべきなのかとも思うが、元はパンク・ニューウェーブの流れの中から出てきたものの、元来メンバーがアニマルズとかソフト・マシーンとか、カーヴド・エアだったりして、キャリアは全然パンクじゃない。逆にバカテクバンド。それでも初期は、明らかに初期パンクの衝動を借りたサウンドで、そこにレゲエ風味もおりまぜ(ホワイトレゲエなんて言われてた)、独自の音を鳴らしていた。セカンドの1曲目「message in a bottle」は本当に名曲で、この曲のイントロを初めて聴いたときは本当にやられた。このアルバムは全体としてもよくてきていて、名盤である。
その後、3枚目「ゼニヤッタ・モンダッタ」という謎の(日本語っぽい)タイトル、その中から「高校教師(かつてスティングがそうだったんじゃなかったか?)」と、「ドゥ・ドゥ・ドゥ・デ・ダ・ダ・ダ」という、これまた日本語バージョンがある曲がヒット。4枚目で初めて意味のよく分かるタイトル「ghost in the machine」を付けたが、このアルバムはブラス・セクションの入り方が個人的にはなじめず。最終的に5枚目「シンクロニシティ」でセールス的にも頂点を極め、その後解散するのだけれども、個人的にはやはり初期の2,3枚がよかったと思う。特に2枚目。もうアンディ・サマーズは80才近いのだろうから、再結成来日公演はないのだろうな。81年の武道館公演は、アリーナの結構前の方で、正面にでかいスピーカーがあり、ドラムのスチュアート・コープランドのバカテクプレイが天井に映った姿でしか見られなかった。しかしその公演は後日NHKで放映され、録音も出来ました(今も残っている)。
・U2
これまたビッグすぎる。でもこのバンドはまさに80年代に席巻、しかも今も活動中。ボノはすっかり世界的な事前事業課となってしまい、最近のパイオニアだったか、コロンビアだったかの文書にまで登場してしまうほどとなっている。しかし、当初出てきた頃は、持ち前のストレートなサウンドが、今ひとつ受け入れられておらず、「グローリア」の入っていた2枚目「irish october」を経て、3枚目「WAR」でまさにブレイク。当時日本ではなかなか人気の出ないバンドと言われていたのに、このアルバムで一挙にトップスターとなってしまった。このアルバムは個人的にも思い入れが深い。さっきのポリス2枚目といっしょで、1曲目「sunday bloody sunday」のイントロのドラムのブレイク、それに続くギタリスト・ジ・エッジの切り込んでくる冷たい独特なサウンドが、本当に衝撃的であった。一挙にファンになったな。84年の来日公演を中野サンプラザで見たが、本当に今まさに上り坂にあるバンドの勢いというものを感じられる、とてもよいステージだった。その後、徐々にルーツを探して、という感じでアメリカ指向を強め、5枚目「joshua tree」で頂点を極めることとなる。しかし、このバンドもやはり、3枚目がよかったなあ。セールス的にもアルバムの完成度からしても頂点を極めたものよりも、その手前ぐらいがよい、という一例だろう(個人的な意見だけど)。
・REM
ここでアメリカのバンドが登場。80年代初頭から、アメリカではカレッジ・チャートというのが結構注目され、そこで話題となったミュージシャンがその後ブレイクするという形が増えた。REMはその走りのようなものだったかもしれない。82年ころにデビューし、83年には私の出身大学の学祭にも登場、これも当時デビューしたてだった爆風スランプと共演(何と私はその時、ビートたけしとたけし軍団のショーに行ってしまった。これは本当にその後も悔やまれる出来事。)。私は、この後くらいに出た「reconstruction of the fables」というアルバムがとても好きで、一気にファンになった(ただ、マイケルスタイブはこのアルバムを評価してないらしい。)。その後は出すアルバムごとにアメリカでも売上を伸ばし、91年ころの「オートマチック・フォー・ザ・ピープル」あたりが頂点だったのだろう。私が見に行ったのは89年頃だったか、今はなきエムザ有明であったが、当日のマイケルは若干機嫌が悪かったようで、オールスタンディングで前の方に押し寄せる観客に、再三不機嫌そうに後ろに下がるように言っていた。さくっと解散してしまったのは残念ではあったが。このバンドもやはりはじめのほうが好み。「radio free europe」とかほんとにいいね。それから未発表曲集である「dead letter office」というアルバムも、時々引っ張り出しては未だに聴いている。
見出しだけしか見ていないが、なんかまたあの東京新聞のM記者のことを揶揄的に報じているようだ。
記者の質問の巧拙等でいえば、いくらでも例はあるのだろうに、わざわざこれを取り上げて、新聞の部数はないからネットで広げようなどと言う狡いやり方をしてる訳なのだろう。
ほんとうにちっぽけな「犬」である。そんなにチンゾウが好きなら、「日刊チンゾウ新聞」とでも改名すりゃ良いじゃないか。
チンゾウ政権は安泰なのに、こんな犬がいると、逆にチンゾウの価値を落とさないのかね?
まあでも、チンゾウもスガも、なんというかちっぽけなキャラっぽいから、仲間なら何でもいいのかな。
というわけで、気分が悪くなった方はごめんなさい。
でもしょうがないよ、ちっぽけはちっぽけなんだから。
それで、80年代ほかにあったか・・
・ポリス
いやーこれは大物過ぎるな。そもそもは77年デビューだから、ここで取り上げるべきなのかとも思うが、元はパンク・ニューウェーブの流れの中から出てきたものの、元来メンバーがアニマルズとかソフト・マシーンとか、カーヴド・エアだったりして、キャリアは全然パンクじゃない。逆にバカテクバンド。それでも初期は、明らかに初期パンクの衝動を借りたサウンドで、そこにレゲエ風味もおりまぜ(ホワイトレゲエなんて言われてた)、独自の音を鳴らしていた。セカンドの1曲目「message in a bottle」は本当に名曲で、この曲のイントロを初めて聴いたときは本当にやられた。このアルバムは全体としてもよくてきていて、名盤である。
その後、3枚目「ゼニヤッタ・モンダッタ」という謎の(日本語っぽい)タイトル、その中から「高校教師(かつてスティングがそうだったんじゃなかったか?)」と、「ドゥ・ドゥ・ドゥ・デ・ダ・ダ・ダ」という、これまた日本語バージョンがある曲がヒット。4枚目で初めて意味のよく分かるタイトル「ghost in the machine」を付けたが、このアルバムはブラス・セクションの入り方が個人的にはなじめず。最終的に5枚目「シンクロニシティ」でセールス的にも頂点を極め、その後解散するのだけれども、個人的にはやはり初期の2,3枚がよかったと思う。特に2枚目。もうアンディ・サマーズは80才近いのだろうから、再結成来日公演はないのだろうな。81年の武道館公演は、アリーナの結構前の方で、正面にでかいスピーカーがあり、ドラムのスチュアート・コープランドのバカテクプレイが天井に映った姿でしか見られなかった。しかしその公演は後日NHKで放映され、録音も出来ました(今も残っている)。
・U2
これまたビッグすぎる。でもこのバンドはまさに80年代に席巻、しかも今も活動中。ボノはすっかり世界的な事前事業課となってしまい、最近のパイオニアだったか、コロンビアだったかの文書にまで登場してしまうほどとなっている。しかし、当初出てきた頃は、持ち前のストレートなサウンドが、今ひとつ受け入れられておらず、「グローリア」の入っていた2枚目「irish october」を経て、3枚目「WAR」でまさにブレイク。当時日本ではなかなか人気の出ないバンドと言われていたのに、このアルバムで一挙にトップスターとなってしまった。このアルバムは個人的にも思い入れが深い。さっきのポリス2枚目といっしょで、1曲目「sunday bloody sunday」のイントロのドラムのブレイク、それに続くギタリスト・ジ・エッジの切り込んでくる冷たい独特なサウンドが、本当に衝撃的であった。一挙にファンになったな。84年の来日公演を中野サンプラザで見たが、本当に今まさに上り坂にあるバンドの勢いというものを感じられる、とてもよいステージだった。その後、徐々にルーツを探して、という感じでアメリカ指向を強め、5枚目「joshua tree」で頂点を極めることとなる。しかし、このバンドもやはり、3枚目がよかったなあ。セールス的にもアルバムの完成度からしても頂点を極めたものよりも、その手前ぐらいがよい、という一例だろう(個人的な意見だけど)。
・REM
ここでアメリカのバンドが登場。80年代初頭から、アメリカではカレッジ・チャートというのが結構注目され、そこで話題となったミュージシャンがその後ブレイクするという形が増えた。REMはその走りのようなものだったかもしれない。82年ころにデビューし、83年には私の出身大学の学祭にも登場、これも当時デビューしたてだった爆風スランプと共演(何と私はその時、ビートたけしとたけし軍団のショーに行ってしまった。これは本当にその後も悔やまれる出来事。)。私は、この後くらいに出た「reconstruction of the fables」というアルバムがとても好きで、一気にファンになった(ただ、マイケルスタイブはこのアルバムを評価してないらしい。)。その後は出すアルバムごとにアメリカでも売上を伸ばし、91年ころの「オートマチック・フォー・ザ・ピープル」あたりが頂点だったのだろう。私が見に行ったのは89年頃だったか、今はなきエムザ有明であったが、当日のマイケルは若干機嫌が悪かったようで、オールスタンディングで前の方に押し寄せる観客に、再三不機嫌そうに後ろに下がるように言っていた。さくっと解散してしまったのは残念ではあったが。このバンドもやはりはじめのほうが好み。「radio free europe」とかほんとにいいね。それから未発表曲集である「dead letter office」というアルバムも、時々引っ張り出しては未だに聴いている。
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