否定と肯定

久々に映画を見に行った。

標記の映画。ホロコースト否定論者の男性(市井の学者?)が、これを批判したホロコースト問題の専門家である女性(学者・アメリカ人)を名誉毀損として訴えたという話で、実話に基づくもの。

英米における名誉毀損訴訟においての立証責任の所在の違いから、男性は訴訟を英国で提起。英国では摘示された事実(名誉毀損と指摘された摘示事実)の真実性の立証責任が被告側にある(日本もこちらに近い。米国では摘示された事実が真実でないことも含め、全ての立証責任が原告にあるとのこと・・裏を取ってないがそのようなことらしい。)。このことを前提に、女性学者と依頼を受けた弁護団との間で、方針の齟齬が生じる中で、訴訟は進行してゆく。

依頼者と弁護団との行き違い、原告の男性の言動があまりにもあの与太者にそっくりであること(映画が作られたのは昨年の米国大統領選の最中だったらしい)、依頼者を勝訴へ導くための弁護士の尽力等々、いろいろと見所があり、ひさびさに最初から最後まで同じ緊張感を持ったまま見ることが出来た映画であった。ネタバレになるので細かくは書かないが、ほかにも見所は多い。

ただ、ホロコースト問題というのは、ユダヤ人問題にも関わり、ユダヤ人問題はイスラエルの問題にも当然関わってくる、と私などはすぐ考えてしまうので、ホロコーストがあったか否かという既に決着がついているであろう問題よりも、昨今の国際情勢に絡めたそっちの問題の方をついつい個人的には意識してしまう。10年ほど前にオランダのアンネ・フランクの生家へ行った際(この時2回目)、展示コーナーの一番最後に、イスラエルをたたえるようなコーナーが出来ていて、とても違和感を覚えて素通りしたことを思い出す。

こういった映画が出来ると、また逆に反ユダヤの連中を刺激することもあるのかな、などと思いつつ、こういった問題は洋の東西を問わないものだな、などとも改めて感じてしまう。ヘイトスピーチや排外主義については、日本は欧米ほどには政治勢力として強まってきてはいないが、書店に行くたびに「嫌中・嫌韓本」が横積みになっているコーナーを目にしては、こういったものへシンパシーを感じているサイレント・マジョリティが存在するのだろうか?などと、愕然とした感覚についつい陥ってしまう。

ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

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