2017年も終わるのか・・

2017年という、節目の年が終わろうとしている。

2017年とは、何を隠そう、1967年から50年目の年。
モグリのロックファンでなければ、1967年という年のロック・シーンにおける重要性は、言うまでもなく知るところ。

前年末のクリームの登場に始まり、ジミ・ヘンドリックス、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー(ジャニス・ジョプリン)、ドアーズ、ジェファーソン・エアプレーン等々といった重要なバンドが登場、あるいはブレイク(イギリスからはピンク・フロイドも)。
そして6月には、言わずと知れたビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が発表。そのあおりでビーチ・ボーイズは「スマイル」をお蔵入りさせることとなってしまった。
同月末のモンタレー・ポップ・フェスティバルでは、ジミヘンが凱旋公演、そこでまだ発売ほやほやだった「サージェント・・・」タイトル曲を演奏、ライブ終盤で有名なギター燃やしをやってしまった(あれはその前に出たザ・フーが派手なパフォーマンスをしたので、それ以上のことをやるしかない、と考えてのことだったという説も。)。

世はサイケデリック、あるいはフラワー・チルドレンが席巻。「花のサンフランシスコ」は、幼い頃から耳に馴染んだ曲であった。ストーンズも混乱のサイケ期で「ゼアズ・サタニック・マジェスティーズ・リクエスト」を出してしまい、ディランはバイク事故の後で「ジョン・ウェンズリーズ・ハーディング」で地味に主張、ヤードバーズはジェフ・ベックが抜け、ジミー・ペイジ主導で翌年のレッド・ツェッペリン始動へ向け大きく変貌、スティーブ・ウィンウッドは、トラフィックをまずはサイケデリックに展開、等々といった感じ。この年からの数年は、本当にめくるめく大変革期だったのである。

それから50年。当時主役であった人々の少なからぬ数が鬼籍に入り、未だ元気に現役ばりばり活動中は、B4の残り2人とストーンズ、ディランといったところだろうか。

他方、この年は、(ロックではないが)ジョン・コルトレーンが夏前に死去(まだ40代前半)、オーティス・レディングも飛行機事故で27才の若さで死去。ミュージシャンではないけれども、ブライアン・エプスタインも死去して、ビートルズはピークから徐々に落ちつつも、なお名作を輩出する。

もうこの時から四半世紀である。私もこの手の音楽を聴きだしてから40年以上になり、パンク登場からも40年以上が経過した。スミスの解散からも30年が経過している。
本当に時の経つのは早い。
最近の音楽シーンの動きは、ほとんどわくわくさせてくれるようなものがなく、なんというか、この50年の蓄積は、いずれ雲散霧消してしまう、あるいは薄められなんとなくいろんなものの背景に埋もれてしまうのか、などと思うと、この時代に生まれたことへ感謝すると共に、なんとも寂しい感じも強い。

若者たちにも、この人たちは何を聞いてきたのか、どんなところをルーツにし、また影響を受けてきたのか、等ということに、もう少し興味を持ってくれればいいんだけど、どんどんどんどんそういうのが希薄になっていくんだろうね。世の中には、とにかく希薄化・普及版化へのベクトルしかないのではないか、などと、時に空虚な感覚となってしまう。
まあ、クラシックファンの方とかは、もっと違った感覚があるのだろうけど、あれはある意味「権威」ということでもあるし、またあれが本当にいいものなのかはよく分からない。何百年という歴史の中で、数年ないし数十年で消えてしまったものも莫大な量ある中で、結局普及版的に残ったものなのかも知れない(・・もちろん、名作と本当に言われるものが残っている面は否定しない。今あるものについても、将来的にそういうことになるのだろうし。ただ、やはりそういったものの影で消えていったものの中にも、その時代ならではと言うことかも知れないが、すばらしいもの、いいものがたくさんあった、そしてその部分部分がいろんな人によって引きつがれ、受け継がれてきているはずなんだけど、そんなことに思いをはせることは出来ないかなあ。それは少数派か。反安倍勢力みたいなもんで。)

ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

0コメント

  • 1000 / 1000