セックス・ピストルズの登場というのは、当時日本のロックファンの間でもかなり衝撃的な出来事として捉えられていたと思う。当時まだ洋楽ロックを聴き始めたばかりだった私も、あの叩きつけるような、ストレートかつ極めてラフなサウンド、さらにシングルカット曲がラジオで録音した直後に放送禁止になってしまったというエピソード等、かなりのインパクトを受けた。
なにぶん、メインストリームのロックを、まだ大して聞いてなかった段階で、いきなりちゃぶ台返しのようなこんなのが出てきてしまったわけで、その後すっかりそっちへ行ってしまった人も少なくなかったのだと思う。しかし、こちらはといえば、まだビートルズすら一通り聞いたかどうかの時点で、ましてハード・ロックやジミヘン、プログレなんてまだまだ、という状況だったし、そもそもロックの流れ(歴史状況)も把握してなかったから、従前からのものもパンクも並行して聞いていった、というところであった。
ところが、このピストルズの看板であったジョニー・ロットンは、1978年にはグループを解散させてしまい、同年に「public image limited」という新しいバンドを作ってしまった。そして、「ロックは死んだ」などと言い放ち、その後「メタル・ボックス」「フラワーズ・オブ・ロマンス」等といった、それまでのロックとは似ても似つかないようなものを立て続けに出すという、ある意味前衛的な活動を進めていったのである。
なにがいやだって、こちらはまだロックを聴き始めたばかりで、日々聴くサウンドが皆新鮮で感動的、という段階であった。それなのにいきなり、「ロックは死んだ」などと言い出されて、正直ジョン・ライドン(その頃には改名していた)に良い印象を抱いていなかった、色物の目立ちたがり屋程度にしか思ってなかった、というところがあった。しかも、そのPILの奏でるサウンドというのがあまりにも前衛的で、とてもついて行くことが困難、私はまずは基礎を固めてから次に聞くしかないな、なんていう感覚に陥ってしまっていた(というか、要するに当時はそのような音を必要としていなかったのであろう)。
そのようなこともあり、PILというのはきちんとまともに聞いたことがなかった。アルバムを通して聞いたこともろくになかった(そういえば、「アルバム」というタイトルのあるばむもあったな。)。その活動自体には敬意を抱いていたが、正面から受け止めることはなかったのである。
そんなPILが久々に来日するという報を聞き、思ったのは、「やはりあのジョンライドンだし、一度は拝んでおくべきだろう」という、いわば野次馬・ないしミーハー根性であった。
会場に出向いたのは19時過ぎ頃。そうか、ここのロッカーはサイズが小さかったんだ・・と思い出したが後の祭り。しかし大きなリュックを事件記録と共にとにかく押し込み、ロッカーを入れた。そしてこのようなスタンディングライブにつきもののワンドリンクを受け取るための列が、3フロアに渡って続く(密閉された階段は暑い)その列の最後尾に向かい(またダイノソーjrの時のように開演に間に合わなくなる~との恐れを抱きながら)。年代はやはり40代~50代が中心だが、若い世代もそこそこいた。いつも思うのは、ほんとこいつら昼間はなんの仕事してるんだろ、というような感じの連中が、この時間の六本木に私服で来ていること。
19:30からスタートした演奏。ジョンは昔の面影とは違い、エルトン・ジョンかと思うような風貌(太った!)でメガネをかけ、ネクタイにベストという風貌。始まった演奏は、スリーピースバンドによるお約束の硬質・金属質の叩きのめすようなサウンド(後期クリムゾンはここに繋がってるのかも・・)、そこに相変わらず呪術調の、歌とはとても言えない抑揚のないジョンの「叫び」。その連続。若干昔より「歌声」的にうまくなったような感も。
改めて、ホントこのバンドの曲って「メロディアス」「ポップ」というところから対極にあるな、と思った(いや、これがポップなのだという多数の意見もあるだろう)。もちろん、2部アンコールの方でやった1st1曲目の「theme」とか、「this is not a lovesong」という有名どころのポップな曲もあるが、ディスコ調だけどディスコでは決してかからない曲等、タイトなサウンドの上に奏でられてゆく。その音の洪水に身を委ねながらも、自分の好きなサウンドって、これじゃやはりないな、やはりUKポップだな、ブリティッシュ・ブルースだな、ハモンドオルガンの曲はないよなあ、等々と別なことを考えている自分がいた。
ずいぶん前に、「フラワーズ・オブ・ロマンス」は購入してあり、それが唯一持っているPILのアルバムである(LPだが)。しかし、通して複数回きちんと聞いてはいない。なんとなく後回しになってしまうのである。
自分にとって心地よいサウンドではない。自分がここぞというときに求めるサウンドではない。そのことが今回も確認できた、というのが正直なところか。
他方で、当時色物と思わせられたジョン・ライドンが、いまだにこのように第一線で活動し、かつこれまでのままのサウンドで攻めてくれている(決して中道ポップ的なバラードとか、わかりやすいロックなんてやらない)ことが、なんとなく嬉しくも感じられた。
考えてみれば、このバンドがいわゆるポスト・パンク~ニューウェーブの先鞭を切ったのであったし、その精神自体は自分も共有・共感したし、今でもしているところである。先日、サカナクションの山口一郎の番組で、トーキング・ヘッズの特集をやっていたが、山口が、80年代の音楽シーンへの憧憬丸出しのコメントをしていたのがなんともほほえましかったし、自分もその時代の空気を経験できたことがなんとなく誇らしくも感じた。そんなのはいつ生まれたかでの巡り合わせに過ぎないんだけれども。
なんとなく雑談になったな。
ジョン、太りすぎには注意してくれ。
なにぶん、メインストリームのロックを、まだ大して聞いてなかった段階で、いきなりちゃぶ台返しのようなこんなのが出てきてしまったわけで、その後すっかりそっちへ行ってしまった人も少なくなかったのだと思う。しかし、こちらはといえば、まだビートルズすら一通り聞いたかどうかの時点で、ましてハード・ロックやジミヘン、プログレなんてまだまだ、という状況だったし、そもそもロックの流れ(歴史状況)も把握してなかったから、従前からのものもパンクも並行して聞いていった、というところであった。
ところが、このピストルズの看板であったジョニー・ロットンは、1978年にはグループを解散させてしまい、同年に「public image limited」という新しいバンドを作ってしまった。そして、「ロックは死んだ」などと言い放ち、その後「メタル・ボックス」「フラワーズ・オブ・ロマンス」等といった、それまでのロックとは似ても似つかないようなものを立て続けに出すという、ある意味前衛的な活動を進めていったのである。
なにがいやだって、こちらはまだロックを聴き始めたばかりで、日々聴くサウンドが皆新鮮で感動的、という段階であった。それなのにいきなり、「ロックは死んだ」などと言い出されて、正直ジョン・ライドン(その頃には改名していた)に良い印象を抱いていなかった、色物の目立ちたがり屋程度にしか思ってなかった、というところがあった。しかも、そのPILの奏でるサウンドというのがあまりにも前衛的で、とてもついて行くことが困難、私はまずは基礎を固めてから次に聞くしかないな、なんていう感覚に陥ってしまっていた(というか、要するに当時はそのような音を必要としていなかったのであろう)。
そのようなこともあり、PILというのはきちんとまともに聞いたことがなかった。アルバムを通して聞いたこともろくになかった(そういえば、「アルバム」というタイトルのあるばむもあったな。)。その活動自体には敬意を抱いていたが、正面から受け止めることはなかったのである。
そんなPILが久々に来日するという報を聞き、思ったのは、「やはりあのジョンライドンだし、一度は拝んでおくべきだろう」という、いわば野次馬・ないしミーハー根性であった。
会場に出向いたのは19時過ぎ頃。そうか、ここのロッカーはサイズが小さかったんだ・・と思い出したが後の祭り。しかし大きなリュックを事件記録と共にとにかく押し込み、ロッカーを入れた。そしてこのようなスタンディングライブにつきもののワンドリンクを受け取るための列が、3フロアに渡って続く(密閉された階段は暑い)その列の最後尾に向かい(またダイノソーjrの時のように開演に間に合わなくなる~との恐れを抱きながら)。年代はやはり40代~50代が中心だが、若い世代もそこそこいた。いつも思うのは、ほんとこいつら昼間はなんの仕事してるんだろ、というような感じの連中が、この時間の六本木に私服で来ていること。
19:30からスタートした演奏。ジョンは昔の面影とは違い、エルトン・ジョンかと思うような風貌(太った!)でメガネをかけ、ネクタイにベストという風貌。始まった演奏は、スリーピースバンドによるお約束の硬質・金属質の叩きのめすようなサウンド(後期クリムゾンはここに繋がってるのかも・・)、そこに相変わらず呪術調の、歌とはとても言えない抑揚のないジョンの「叫び」。その連続。若干昔より「歌声」的にうまくなったような感も。
改めて、ホントこのバンドの曲って「メロディアス」「ポップ」というところから対極にあるな、と思った(いや、これがポップなのだという多数の意見もあるだろう)。もちろん、2部アンコールの方でやった1st1曲目の「theme」とか、「this is not a lovesong」という有名どころのポップな曲もあるが、ディスコ調だけどディスコでは決してかからない曲等、タイトなサウンドの上に奏でられてゆく。その音の洪水に身を委ねながらも、自分の好きなサウンドって、これじゃやはりないな、やはりUKポップだな、ブリティッシュ・ブルースだな、ハモンドオルガンの曲はないよなあ、等々と別なことを考えている自分がいた。
ずいぶん前に、「フラワーズ・オブ・ロマンス」は購入してあり、それが唯一持っているPILのアルバムである(LPだが)。しかし、通して複数回きちんと聞いてはいない。なんとなく後回しになってしまうのである。
自分にとって心地よいサウンドではない。自分がここぞというときに求めるサウンドではない。そのことが今回も確認できた、というのが正直なところか。
他方で、当時色物と思わせられたジョン・ライドンが、いまだにこのように第一線で活動し、かつこれまでのままのサウンドで攻めてくれている(決して中道ポップ的なバラードとか、わかりやすいロックなんてやらない)ことが、なんとなく嬉しくも感じられた。
考えてみれば、このバンドがいわゆるポスト・パンク~ニューウェーブの先鞭を切ったのであったし、その精神自体は自分も共有・共感したし、今でもしているところである。先日、サカナクションの山口一郎の番組で、トーキング・ヘッズの特集をやっていたが、山口が、80年代の音楽シーンへの憧憬丸出しのコメントをしていたのがなんともほほえましかったし、自分もその時代の空気を経験できたことがなんとなく誇らしくも感じた。そんなのはいつ生まれたかでの巡り合わせに過ぎないんだけれども。
なんとなく雑談になったな。
ジョン、太りすぎには注意してくれ。
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