前に進めるということ

何人かで携わる、いろいろな取り組み、
例えば我々の職業だと、
何人かで「弁護団」を組んで事件に取り組んだり、
また会の委員会やPTなどといったものでの取り組み等もあったりする。

その場合、どうしても、「人任せ」の状況が生じることがある。
責任の所在がはっきりしなかったり、
また、責任者がいるから、その人にやらせておけば良い(下手に口を出さない方がよい)、
というような感覚になるのか、
まったくその取り組みが動かなくなる(or活性化しない)ようなことも往々にしてある。
その場合、誰かが突破口を開き、あるいはきっかけを作らなければ、
前に進めることは出来ない。
きっかけが生じれば、そこへのアクセスが生じ、議論が生じ、
取り組みは活性化して、よりよい成果物が得られることもある。

その場合、突破口を開いたりきっかけを作ったりした人の提示したものは、
「たたき台」として、ひたすら叩かれることとなる。
ただ、叩かれることが多い「たたき台」のほうが、議論の活性化には繋がったりもする
(あまりにも叩かれ放題の内容では論外だが)。
つまり、「とにかく動かさないと」という思いから、「たたき台」を示すのである。

このような思い、またその思いでたたき台が示されるということは、いうまでもなく重要なことである。
時に、叩かれることが、自分の足りなさ、至らなさを示すことともなるし、
また、おいしいところをコメントしかしない人(叩かれる場所に決して入らない人)
に持ってかれることもあったりするが、
それでも、きっかけを提示すること自体、大変有意義なことである。

おそらく、有能・優秀であると自負している人には出来ないこと
(叩かれること自体が耐えられない、それを本能的に分かっているから、叩かれる場所には行かない)
なのだろうが、
自分は、外野として参加している場でなければ、
できるだけそのような役割を果たしてゆきたいと思っている。

何を書いているのか分からないような内容かもしれないが、
日常的に感じていること。



ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

0コメント

  • 1000 / 1000