空前の「10連休」が終わる。
この間も、結局1~2日おきに事務所に出ていた。
自宅にいる日も、大半は自宅のたまりにたまった物の処分(の準備。連休中はゴミ回収にあまり来ない)
で費やされた。
出かけたのは1日だけ。
10日間どこかへ出かけてしまっていれば、それはそれで良いのだろうが、
10日間家に居続けるというのは、やはり非常に危険。
復帰が困難になりそう。出社拒否になりそう。
事務所にも、処分せねばならないものが大量にあるのだが、
一向に進まない。この連休中にも、結局ほとんど進まなかった。
それにしても、この間いつもあまり読まないようなものを少し読んだりしたが、
今さらながら、本当に自分が、今の職業(法律職)についているのがなぜなのだろう、
と感じてしまう。
他の興味に基づいて、そちらのほうへ邁進していたら、また全然違った人生となっていたのだろう。
発想において、自然にわき出てくる感覚で取り組めるものと、
「よっこらしょっと」と、1度気合いを入れないと取り組みモードになれないものとがあるが、
現在の仕事は、対象とする物事自体についてはそのようなことはないものの、
そもそもの法的思考自体が、前者とは言いがたい部分がある。
もっとも、自分の好きなもの、好きなことを職業にしてしまうのも、
これはまた、逃げ場がないことともなりかねない。
かつて、音楽の趣味を仕事にしようと考えたこともないではなかったが、
そうなると、これまでのように勝手な思いで楽しむことは出来なくなるのではないか、
商売ベースで日和った文章を書かねばならなくなるのではないか、等々とも思い、
その線はあり得ない、と考えたものであった。
今のように、日々仕事に追われ、その間のわずかな時間で他のことをやるから、
その他のことが新鮮に見えることは明らかであろう。
まあ、今のような形がベターなのかも知れない。
同業者には、ほとんど技術者のように、精密に法論理を構築し、
それを普段の言葉のように操る方も少なくないように思う。
すなわち、「発想において、自然にわき出てくる感覚」で取り組めているのだろう。
日常的にそればかりでもよいような人もいるのだろう。
そのような発想自体が楽しいのかも知れない。
もっとも、そのような人はそのような人で、
普通の人々とのやりとりに不自由があったりするのかも知れない。
などといいながら、またこの連休で1つ齢を重ねた。
この間も、結局1~2日おきに事務所に出ていた。
自宅にいる日も、大半は自宅のたまりにたまった物の処分(の準備。連休中はゴミ回収にあまり来ない)
で費やされた。
出かけたのは1日だけ。
10日間どこかへ出かけてしまっていれば、それはそれで良いのだろうが、
10日間家に居続けるというのは、やはり非常に危険。
復帰が困難になりそう。出社拒否になりそう。
事務所にも、処分せねばならないものが大量にあるのだが、
一向に進まない。この連休中にも、結局ほとんど進まなかった。
それにしても、この間いつもあまり読まないようなものを少し読んだりしたが、
今さらながら、本当に自分が、今の職業(法律職)についているのがなぜなのだろう、
と感じてしまう。
他の興味に基づいて、そちらのほうへ邁進していたら、また全然違った人生となっていたのだろう。
発想において、自然にわき出てくる感覚で取り組めるものと、
「よっこらしょっと」と、1度気合いを入れないと取り組みモードになれないものとがあるが、
現在の仕事は、対象とする物事自体についてはそのようなことはないものの、
そもそもの法的思考自体が、前者とは言いがたい部分がある。
もっとも、自分の好きなもの、好きなことを職業にしてしまうのも、
これはまた、逃げ場がないことともなりかねない。
かつて、音楽の趣味を仕事にしようと考えたこともないではなかったが、
そうなると、これまでのように勝手な思いで楽しむことは出来なくなるのではないか、
商売ベースで日和った文章を書かねばならなくなるのではないか、等々とも思い、
その線はあり得ない、と考えたものであった。
今のように、日々仕事に追われ、その間のわずかな時間で他のことをやるから、
その他のことが新鮮に見えることは明らかであろう。
まあ、今のような形がベターなのかも知れない。
同業者には、ほとんど技術者のように、精密に法論理を構築し、
それを普段の言葉のように操る方も少なくないように思う。
すなわち、「発想において、自然にわき出てくる感覚」で取り組めているのだろう。
日常的にそればかりでもよいような人もいるのだろう。
そのような発想自体が楽しいのかも知れない。
もっとも、そのような人はそのような人で、
普通の人々とのやりとりに不自由があったりするのかも知れない。
などといいながら、またこの連休で1つ齢を重ねた。
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