アーチスト探訪~エリック・クラプトンその2

1966年末にデビューした「クリーム」は、ジャズ畑からやって来たジャック・ブルース(b)とジンジャー・ベイカー(ds)とが持ち込んだインプロビゼーションを、ライブを中心に大胆に導入し、しかもそれが広い支持を受けて、英米を中心に大ブレイクすることとなった。ロック史においてもこのバンドは、まさに革命を起こしたというべきものであり、ハードロックの元祖とも位置づけられる。小品集の趣もあるファースト「フレッシュ・クリーム」から、サイケデリック色も含んだ傑作「カラフル・クリーム」(何よりジャケットがサイケでしょう)、そして「Wheels of Fire」(邦題「クリームのすばらしき世界」という大傑作(半分がライブ盤。全米ナンバーワン)、さらに若干のアルバム、何枚ものヒットシングルを発表したものの、活動期間は2年弱(68年夏頃に解散コンサート)。
この2人のリズム隊が人間的にお互い全く合わなかったそうで、ライブにおける自己主張の張り合いのみならず、普段も対立が激しく、クラプトンも仲裁に疲れて、結局解散、となってしまったようだが、(今でこそそのサウンドは若干古くなった感もないではないが)特にライブ音源は、「クロスロード」「アイム・ソー・グラッド」等々で演じられる各パート同士のバトルが、今聞いても本当に興奮させられる。特にジャック・ブルースのベースラインは、本当に特筆すべきもの。ただ、クラプトンはクリームのことを後に、「ジャズバンド」と語っていたそうで、面白い。また、その後クラプトンがハードロックサウンドを前面に出した活動をしたことはほとんどない。

クリーム解散後、クラプトンは「ブラインド・フェイス」を結成する。クリームのジンジャーのほか、スティーブ・ウインウッド、それにリック・グレッチ(元ファミリー)という、言わば元祖「スーパーグループ」であり、少女ヌードのジャケットが物議を醸した(個人的には特にそんなことを気にしたことはなかったが)邦題「スーパージャイアンツ」というアルバムもビッグセールスとなった。クリームと比べると若干静かめで落ち着いたサウンドであったが、アルバムとしてはいい曲が揃っていて、良いアルバムである。数年前、クラプトン・ウインウッドで来日した際、ブラインド・フェイスの曲を3,4曲やってくれたのが嬉しかった(当然やるだろうけど)。

ブラインド・フェイスはアルバム一枚のみの短命で解散。その後、クラプトンは、アメリカ南部へと目を向け(おそらく、ザ・バンドの「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」あたりに触発されたのだろう。)、デラニー&ボニーと共演、70年に初のソロアルバム(これもなかなかよい)を出し、71年には、「デレク&ザドミノス」名で、あの名曲「レイラ」をフィーチャーした大ヒットアルバムを出す。最近のクラプトンは、ライブでは「レイラ」をアンプラグド・バージョンでやることが多く、ライブの観衆の一部に若干の残念感が漂っていることも多い(これは個人の感想です)。

今回はここまで。なんだけれども、私にとって特に好きなクラプトンというのは、その後レイドバックしたクラプトンではなく、どうしてもこの頃になってしまうんだよね。本当のファンではないんだろうな。

ろっくおじさんの戯言

ビートルズが全米制覇をした年に生まれた男(いちおうべんごし)が、音楽ネタや日々の雑感を綴る。仕事には役に立たないブログ。

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