新型コロナ関係の補償として、当初政府が収入減を条件に金30万円を支給するという政策を打ち出していたところ、話によれば連立与党の公明党から強い反発と連立離脱の意向まで受け、国民全員へ10万円ずつ支給するという策に大幅変更となった、というのは記憶に新しいところである。
支持層に未組織の低所得者が多いと言われる公明党が、現場の(創価学会も?)声を吸い上げたということなのかも知れないが、このように、少数政党であっても連立離脱をほのめかす等して、自党の政策を押し込んでしまう、というケースは外国でもよくあるようである。すなわち、相対的に少数であっても、与党に連立で入り、連立の中での自党のポジションを確立した上で、前記の通り自党の政策を実現させ、成果として誇る、ということが出来てしまうのである。
自民党にとっても、公明党は基礎票がしっかりしているので(地域での日常の活動はこまめなのだろう)、連立から外れられると普段の選挙の際等よろしくないのであろう(公明党の支持者の選挙における党方針への忠実ぶりは、目を見張るものがある。例えば自公が応援する都道府県知事候補者への支持者の投票行動の割合を見るとよくわかる。自民党よりずっと忠実。まるで宗教のようだ。)。そういった部分を存分に生かしたしたたかな戦略である(よく、公明党のポスターに、「実現しました」的なことが書いてあるのをよく見る。おまえたちだけの力じゃないだろ、などと思いつつ、うまいなあ、などと思う。要は、政治は政策を実現できてなんぼの部分がありますから。)。
ところで、こういったことは、政治の世界でなくてもよくあるような気がする。
ある問題について、大きくA、Bの対立が生じている中で、あえてどちらにも入らず独自路線をとり、状況に応じどちらかを支える、というパターン。
そういうポジション取りをするタイプの人というのが、時々いるような気がする。
ずるいな、と思わせられるところもあるが、まあ、うまいなあ、というのが正直なところ。
率直に言って、私もそうありたい、などと時々思ってしまったりする。
ずるくありたい、なんて。
公明党がずるい、といっているわけではないですが、要するにキャスティングボートというのは、そういうこと。
ただ、キャスティングボートを握るには、ある程度の節操のなさも必要なんだろう。
公文書を改ざんしようが、必要ないところに金を使おうが、そういうところには目をつぶって政権を支えるとか。
自説ないし政策を実現させるために、天秤にかけるということ。
しかし、そこはまねが出来ないところだなあ。
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